下流のお一人様家計簿blog☆彡

座右の銘#お金は取るより使いよう(ご立派な 負け惜しみ・・)

2020年03月

志村けんさん ありがとう

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あなたのコントが好きだった。

コントをしているときの顔と、
真顔になったときの顔のギャップ。

かつらとメークをしなければ、

恥ずかしくて(バカ)コントの演技ができなかったと、
いつか語っていた。

 

 

真顔の結んだ唇に知性を感じてたよ。

「もし、天国がほんとにあるなら、
若くして亡くなったあなたの父さんと、
志村けんの一番の大ファンだったあなたの母さんに、
天国で再会できるはずだよね」

そう思って・・・寂しいけど、
この世にいなくなったけんさんを、
寂しいけどあきらめるよ。

「わが身をもって コロナ恐怖の警鐘を示したけんさんは
伝説の人」になるよ。

今までほんとにありがとう。

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人生後半に挑戦したこと その① 

 

挑戦したこと その① アイデアを商品化・販売です。

47歳頃 高校生の娘2人を連れて、夫の元を逃亡した(その時のことは↑に書いてます)

人生90年としても 折り返しの年齢です。
夫と一緒にいるとき、クリーニング店でパートをしていましたが、
逃亡先に借りた民間アパートの、家賃を払って生活するには、
もっと収入の多い仕事をしないと食べていけません。

前から知人に薦められていたけど、なかなか踏み切れずにためらっていた
ホームヘルパーを、その知人も登録する紹介所に登録しヘルパーを始めました。

約3年間ホームヘルパーをしてから、その後介護施設「特別養護老人ホーム」の介護職に就きました。
半官半民の施設で、私は50歳を過ぎていたので、施設介護は正職員採用にはなりません。
8時間労働の1年契約パートタイムです。それでも正職員の一人としてシフトを組まれます。
早出・日勤・遅出・夜勤です。
夜勤は職員2人体制で、70人の要介護者をお世話します。
仮眠時間があっても、仕事に慣れていない私は仮眠は取れませんでした。
私には、体力的・精神的にきつくて・・・再契約は断り1年で退職しました。
なので、あの多忙の中、施設で働き続ける職員たちを今でも尊敬してます。

施設介護職は賃金安くてきついので、職員がすぐ辞めてしまうため人手不足、
高賃金なら辞める人は少ないと言われてますが・・・
そうではないと思います。私自身は仮に高賃金でも、続けられないと思いました。

介護保険施行前は「養老院」と呼ばれて、身寄りのない自立高齢者で手のかからない入所者もいて、
職員も多くて働きやすかったと、職員は話していました。

介護保険施行後は、自立の入所者は入所できず(現在は要介護3以上)の入所しか受け入れません。
重介護者ばかりなのに、職員の人数も減らしました。
私は、賃金は納得の上で応募したので、文句は言いません。
職員の人数を多くして、1職員の負担を軽減することのほうが大切に感じたし、
虐待もなくなるのではないかと思いました。
職員の多忙の苛立ちが、虐待につながると思うのです。

介護施設を退職してから、身体的にはいくらか楽な在宅のホームヘルパー職に再度戻りました。

ある日テレビで、新宿のある百貨店で女性発明家のアイディア商品展というのを、
開催しているのをみて、そのイベントを観に行き、パンフレットをもらいました。
アイディア展は、アイディアコンクールの入賞作品の展示と、
女性が考えたアイディア商品の販売をしていました。
それに触発されて、自分も何かアイディア商品を作ってみたいと思いました。
あわよくば、それを売って生活できたら良いなと思うようになりました。

それは何か・・・?
ホームヘルパーで、雨の日個人宅を訪問するとき、
自転車で行くのに上は雨合羽、それだけではズボンが濡れるので、
下はカッパズボンを履いてました。

個人宅に到着すると、雨合羽を脱ぐのは簡単、カッパズボンが脱ぎにくかったのです。
昔・独身時代に趣味で洋裁を習って、自分の着るものを縫っていたこともあり、
靴を履いたままで簡単に着脱できるカッパズボンを、自分で作って履いていたのです。
これを商品化できないかな?と考えました。
「婦人の発明家協会」に入会して、自分の考案商品がデパート審査に合格すれば、
売り場に陳列してもらえて販売できるのです。

早速入会しました、アイディア商品はどこにもないもの(新規性)を求められます。
(協会からは特許申請を薦められる)
特許庁に提出する申請書類は、弁理士さんに依頼するのが普通ですが、
依頼料が約20年前でも最低20~30万はかかるといわれていました。

私は、自分で書けばタダだから自分で書こうと思いました。
そしてその時、母子家庭や住民税非課税世帯は、特許庁への申請料は無料だということを知り、
今しかないと思いました。

友人からワープロを借りて、申請書類の書き方を参考にタイプライターを打ち、
図面は手書きで書き特許庁に書類を提出しました。

実用新案証書を手に入れてから、カッパズボンをデパートの審査に出しました。
雨の日も楽しく過ごせるように「雨楽楽パンツ」と命名しました。

しばらくして審査合格通知が来て、デパートの「アイディアコーナー売り場」に並べてもらえることになりました。

数年経過し、アイディアコーナー売り上げが悪くなり、デパートの売り場存続問題が協会から説明ありました。
協会の説明では「数年前から売り上げが悪化していたけど、
デパートの好意でコーナーを続けていただいてきたが、
これ以上の迷惑はかけられない」という旨の説明だったと思います。
その後 売り場は廃止になりました。

自分の商品を2900円で売ろうとすると、デパートでの販売価格は、
4900円程に設定しなければならなかったので、心苦しさがありました。

ならば、この品物をネットで売ろうと思うようになり、パソコンに興味を持ちました。
このアイデア商品がなければ私はパソコンに興味を持たなかったかもしれません。

初めの動機、アイディア商品を売って生活したいという甘い夢はならず、
結局65歳過ぎまで 介護関係で働きました。

しかし、サービス提供責任者とケアマネジャー職では、パソコンが必須だったので、
アイデア商品がパソコンの動機付けになったのは良かったと思っています。
この品物のおかげで 雑誌に取り上げてもらったり、

NHKのラジオに出演したこともあります。
    nhkラジオ

だいぶん前です、NHKラジオ「ふれあいラジオパーティ」「町の発明家 集合」に
ラッキィ池田さん(タレント・振り付け師)木村勝己さん(発明プロデューサー)とゲスト出演しました。
ラッキィ池田さんはお母さんが発明好きな方で、ラッキィさんご自身も有名おもちゃメーカーから
おもちゃの発明品を販売した経験があるということで、出演され共演しました。

⁂NHKは商品名を言うなといわれ、ラジオでは商品を見せることができないので、
宣伝にはなりませんでした(>_<)


 

どんな大きな靴でも、靴を履いたまま着脱できるレインパンツの動画です。
(百聞は一見に如かず、良かったらご覧くださいね)

minnne で販売しています


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志村けんさんの回復を祈ります

志村さん70歳は私と同い年。

彼のコントが大好きで、自己紹介にも書いてます。
変なおじさん・ひとみおばあちゃん・酔っ払いコント・バカ殿等々
頭のてっぺんからつま先まで、役に徹するコントの天才。

売れて人気ものになっても、文化人きどりやご意見番としてのコメントをしないところが大好きです。

トーク番組ゲストに呼ばれると、司会者が年下でも、真面目に「です・ます調」で話し、
シャイな性格が見え隠れするところも好き。

コントをやらない時の志村さんのめがね顔と、結んだ唇に知性を感じてました。

どうか どうか 元気になってください、祈ってます。


                                        
志村さぁ~~ん  桜 咲いてるよ~
 

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まだらボケの母の話は本当だったという話





 前の話はこれ ↑の続きです


母は数日後、姉に「あした、○○の公民館に、1万円を返しに行かなきゃならないので、
1万円をくれ」といったそうです。
カレンダーを見ると返す日に母が印をつけており、
○○の公民館とは、○○は地名で自宅から10キロ以上の距離。

姉はそんな話は信じられず、
自宅から4キロほどの母が電動カートに乗りいつも買い物に行く町に、
理容店を営んでいる親戚がありますので、母はもしかしてその親戚へお金を借りに行って、
貸してもらったのかもしれないと思い、親戚の理容店に聞きに行ったそうです。

親戚の理容店は 母は確かに来たことがあるけど「5円貸して」といわれたので、
親戚の理容店は「5円だけ?」というと「そんなら500円貸して」と言い、
結局900円貸りて行ったそうです。姉はそれを聞き、母の借金の900円を返し帰宅しました。

すると母はまた、「どうしても明日返さなきゃいけないから、約束してるから・・1万円をくれ」と言い、
そこで初めて「その人の、名刺も貰ってある」と言ったそうです。
その名刺なるものには、メモ紙で「男の人の住所・名前・携帯電話番号」が書いてあったとのこと。

姉が母に「そんな遠いとこまで返しにいけるの?」と聞くと、
「自分は、いけないから代わりに返してきてくれ」と母が言ったという。

 翌日になり姉はそのメモ紙をもって、親戚の理容店に再度行って説明話をすると、
理容店は 書いてあったその住所にその名字があるかNTTの電話帳を見てくれたら、
間違いなくあったそうです。
理容店が「携帯番号が書いてあるんだから、電話してみたら・・」といったので、姉は電話をしてみたそうです。

姉が「やっぱり若い男の人の声だったよ「おばあちゃんがATMで困っていたので1万円貸しました」といった。
そして、約束の時間と公民館の場所をしっかり確認して、車を運転して返しに行くことにした。
理容店の奥さんは 心配して 『一人で行くのは大丈夫?うちのお父さんもいこうか?』と言ってくれたけど、大丈夫と言って一人で行って返してきた」と私に話した。

「車で通りかかって、立ち寄ったATMで、ばあさんが困っているから貸してくれたんだね。
いまどきそんな人はいないよ、
、高校生かな?高校生はそんなにお金を持っていないな。
とにかく若い人だった、親切だね~!!そしてその人は、渡したいものがあると言って
紙を自分に渡してきて「もうこの紙は破って捨ててください」と言った。

その紙には、ばあさんの字で『1万円借りました。何月何日返します(ばあさんの)
住所・名前』と書いてあったよ」

これは2015年に姉が
「これだけは早くきかせたくて・・・」とあわてて、私にかけてきた電話内容です。
(姉は富山の方言で話したけど 東京弁に直してあります)

私も姉も この心温かい若者の事は一生忘れられない 冥土の土産にもなるような出来事でした。


皆様に「こんな時もし、あなたならどうしますか?」とブログをアップしたのは
姉から、若い男性が母にしてくれたことを聞き、
私ならこんな時、若者が私の母にしてくれたことができるだろうかという事と、
皆様ならこんな時どう対応されるのかと聞いてみたかったのです。

そして、この母はこの心温まる体験をしてから、2年後に亡くなりました。

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まだらボケの母の話



↑の話の続きです。

私は東京一人暮らし。

私の母は富山県で3人暮らしの92歳です。

母(92歳)長女(私の姉60歳代)姉の息子(私の甥40歳代)の3人で暮らしています。

姉は私に愚痴電話をちょくちょくかけてきます。

姉の息子(私の甥))は、こらえ性がなく転職・退職を繰り返しています。


92歳の母は、最近まだらボケが進んだそうです。

それまでは、母は年金を自分で管理していて、預金引き出しも自分でしていました。

仕事をすぐやめてしまう金欠の孫に、母(ばあさん)は、お小遣いをあげて甘やかしていました。

母は昼間お金をもって、電動カートに乗り、
自宅から町まで距離は4キロぐらいはあるillustrain10-obaatyan10-150x150

その町に買い物に行き、自分で調理もしないのに魚や肉をたくさん買ってきて、

冷蔵庫に入れるのを忘れてしまい、夕方仕事から帰った姉が、それを見つけます。

「夏場は腐らせて捨てるしかない困ったもんだよ」と私に愚痴を言いました。


姉は食料品の買い物は自分がするので、母にしないで欲しいといっても、

母は姉の言うことなど、きく気はありません。

(私には 母はすごい根性!!としか言いようがない)



半ボケなので、財布やお金の探し物をいつもしているそうです。

姉が探してみると、いろいろなところから千円札などが出てきて、

嫌になると言っていました。


もう母には金銭管理は無理だし、お金をもっていると不必要な食料品を買ってくるので、

姉が今年の5月ごろから母の通帳の金銭管理をするようになりました。

母の年金は農協の口座に入るとのことです。

別の銀行の通帳はあるけど残金はないので、母はそれは自分で持っています。



ある日、無職の孫が「ばばぁが一万円くれた」と姉に言ったそうです。

姉は「もう農協の通帳持っていないのに、どこからお金をおろしてきたんだろう?」と
私に電話で言いました。

「本人に聞いても『知らない若い男の人が、貸してくれた』と言うばかりだそうです。


母は要介護1で、デイサービスに週1回行っているので、
その話が本当ならデイサービスの利用者からか、
または職員からかに借りたんじゃないの?と私は考え、姉に言いました。


姉は「利用者はデイにお金を持っていってはダメってことなってるし、
職員が貸したなら何か報告があるはず・・ぼけている母の話は、たぶん嘘だよ」


「それにしても 一体どこから?」と、姉と話しました。

まだらボケの母の話は本当か?という話に続きます。


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こんな時 もし、あなたならどうしますか?

いつも アラセブンのブログを読んでいただきありがとうございます。


これから書く話は、実際にあった話です。

こんな時、みなさまだったらどうするでしょうか?


ある平日、お金を引き出しに銀行ATMに行った時のことです。


ATMと窓口もある、地方の田舎の銀行でした。

そこに90歳ぐらいのおばあちゃんが、通帳だけを持ってATM前に立っていました。

そのおばあちゃんは「カードは持っていない、

今日は通帳持って来たけど、ハンコは持っていない」と言い、

お金を引き出すことができない状態でした。

どうしても1万円が必要とのこと「必ず返しますから貸してくれませんか?」と

言うんです。


そんな時 どうしたらよいでしょう、

皆様だったらどんな対応をするでしょうか?

    ↓↓↓に続きます。


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高校4年間で学んだ たった一つのこと

 

定時制高校に25歳独身から通い始め、その4年間で結婚・妊娠・出産を経験し、29歳で卒業した私。

高卒の資格取得目的のためだけという不純な動機で通った高校4年間なので、その4年間勉学にいそしんだというのは全くない。

 

その高校に、大学生の教育実習で数日間ほどだけ来た21歳ぐらいかな?私より年下の女性は国語担当だった、まだ十代のフマジメ男子生徒から授業中に、今でいうセクハラまがいの言葉でからかわれても、ニヤッと笑い、さらっと受け流していて(ぶりっ子ではないところに)とても好感が持てた。


高校
4年間で学んだことは、

ある日の授業中、授業内容から脱線してその時に言った言葉だった「第一印象良すぎる人には気を付けて・・」

自分は、日本人がそれまで今も変わらずだけど「第一印象が大事!!」と言われて、アマノジャク反骨精神持った自分はこの第一印象至上主義的言葉が、好きではなかったのだった。

 

実習生のこの言葉が、すっと自分のココロに入ってきた。


この国語担当教育実習生、人関係で何か思うところがあったのか、そうじゃないと言えない言葉だわ。

 

その後の我が人生において

高校4年間でたった一つ学んだこと・・・「第一印象良すぎる人には気を付けて・・」

今でもその言葉は生活の折々に私に説得力をもたらし続けてきた。

第一印象至上主義の人からは「はじめの印象はすごくよかったのに、まさか、あんな人だと思っていなかった」という言葉をよく耳にすることがあるけど、私は第一印象で人を決めつけることはしていない。


  



   



  






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