スポーツも、勉強も、才能が無いのにいくら頑張ったところで
そんなに上手にはできるようにならないと、私は子供のころから思っていた。

運動会のかけっこ6人で走れば自分は中間で良し、3位なら満足だった。
小学校の時に、1度だけ2位になった記憶がある。1位にはなったことがない。
4位も1回記憶がある。5位・6位はなった記憶がない。

勉強は国語と英語が好き、算数・数学は大の苦手。
5段階評価で、国語英語は4は取りたい。
他の科目は3でもよい。
けど・・数学は2ばかりだった。
算数の「足し・引き・かけ・わり算」までは理解できたけれど、
小数点・分数そのあたりからつまづき、算数苦手になり・・
あの出来じゃ2でもありがたいぐらいだわ、ってぐらいの
算数のテスト点数とっていました。

中学卒業までこんな調子でした。
学校嫌いと家庭の事情で全日制高校は受験しませんでした。

中卒で北陸の寮完備の紡績会社に就職して2年ほど働き、
17歳で電気部品の会社に転職、
22歳で電気部品の会社を転勤で、北陸から東京に出てきました。
(この転勤は私が東京に憧れがあったので、
自分の希望を申し出て、転勤させてもらいました)

25歳の時に、高校卒業資格欲しさで、
定時制高校受験をすることにしました。

定時制高校は英・数・国の3科目受験です。
当時の公立全日制は社会・理科もありました。

自分は、英語・国語は好きなので大丈夫!!

数学ができない!!!受験に落ちたら困る!!!と思い、
会社の近くに小学生相手の小さな塾があったので、
仕事終わりに、
25歳で小学生高学年に混じって
算数・数学だけ教えてもらいました。
塾は個人経営の古い小さな戸建てで、
畳敷きに長机で生徒は20人もいない所でした。

丁寧に、教えていただき
算数・数学は、先生に教えてもらっているその場では理解できるけど、
別の数字・記号に置き換えられるとわからない・・・(>_<)
昔はこんな言葉はなかったけど、私は今でいう算数の学習障害だったかも?と、
思っています。

定時制高校受験当日は広い寒い教室ではなく、こじんまりした用務員室のような場所で、
達磨ストーブを囲むように机が並べられて、少人数で試験を受けた記憶があります。

定時制高校に入って思ったことは、
受験に落ちた人はいなさそう、みんな合格させたんだろうなと・・

勤務しながら定時制高校の勉強は、出席することに意義がある。
授業中のお喋りは、教える教員の邪魔になるので禁物だけど、
静かに居眠りすることは許されていました。

クラスの中で女では私は一番年上だし、
成績不良じゃかっこつかないと思っていたけど、
クラスには、勉強苦手の人が多かったので・・
入学から卒業までの成績は、
何とか体面は保つことができ、助けられました。



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会社の仕事では、物を作る製造業の経験をして思いました。

① 手早く、丁寧で、きれいに作る人
② 手早くはないけど、丁寧に作る人
③ 遅くて、 雑で、 不良品が多い人

①手早く、丁寧、キレイ3拍子揃った人はいるものなのです。

③の遅くて雑な人も 現実にどの職種にも一定数いました。

私は 不器用なので ②の手早くはないけど、不良品を出さないことを考えました。

何の才能もない自分は、
せめて中間を保つ事が出来たらよいと考えていました。


スポーツ・勉強・仕事において、中間を保つことができたのは、
上手じゃない人もいたからでした。
競争社会での自分は、上手じゃない人に支えられてきた人生だったなと思います。

私の知人で職場の人間関係に悩む人がいました。
その言い分に、
「会社に仕事ができない人がいて、その人にイラついている」と聞いたとき、
私は言いました。
(できない人がいると、あなたも迷惑こうむり大変ね!とは言いません。
イラついている知人も、それほどできる人とも思えませんでした)

「もし、あなたよりできる人ばかりだったら、
自分ができない人の中に入るんだよ。

できない人がいるからこそ
できるあなたの価値があがるんじゃないの?
私だったらそう考えるけどね」と。



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