元・夫の姉のこと ①

 ↑の話の続きです。

夫と住んでいた団地から二人の娘を連れて逃亡し、
10年ほど経ったある日、
何かの届けを出すため区役所のカウンターで申請書を書いていると、
「〇〇子さん」と、私の名前を呼ぶ声がした。
顔を上げるとそこには、元夫のお姉さんが立っていた。

お姉さんは別の区に住んでいるので、まさかこの区役所で合うとは夢にも思っていない事だった。
もし私が先にお姉さんの姿を見つけたら、そそくさと確実に逃げだしたはず。
私が下を向いて申請書を書いているのを、お姉さんが先に見つけたのだから
逃れようもない。

私の第一声「黙っていなくなってごめんね」
「ううん、いいのよ。こんなとこで会うなんてね。
父が亡くなったからお墓の申し込みをしに来たのよ」
都営霊園の申し込みをしに来たらしい。

「これから用事ある?良かったらお昼どこかで食べない?」と、お姉さんは穏やかな顔で言う。
この後、私も用事はなかったので、二人で区役所近くの和風ファミレスに入った。


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「お姉さん変わったね」
「そうよ、いろいろあったからね・・
あなたには苦労させたわね。弟はアルコール依存症で働けなくなって、
入退院を繰り返して、今・生活保護を受けてるのよ」

昔「弟が飲むのは、家がおもしろくないからじゃない?」と私に言った姉が、
私に「苦労させたわね」という。
「弟の子供を育ててくれてありがとう」ともいう。

元夫が住んでいる団地の知人から、
「泥酔して裸で外をふらついているところを通報されて、
何度か警察や病院に世話になった」と聞いていたし、
以前には、福祉事務所から父親の生活保護について、
娘宛てに親に金銭援助できる金額の問い合わせの手紙も来ていたので、
前から情報は入っていたけれど、お姉さんには初めて聞くふりをした。

私が夫から離れてから10年も経たずに、
お姉さんがアル中の弟の世話をすることになって、
私の大変さをわかってくれたんだなと思った。
元夫の団地に同じ信仰のおばちゃんが入居してきてたので、
何かの時は連絡を取り合っているという。

「これから私とお付き合いしてくれない?住所と電話番号教えて。
弟には今日合ったことも内緒で、これからも内緒にするから・・」という。
お姉さんは、そういうところは信用できると思ったので、住所・電話番号を教えた。



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その後、毎年お中元お歳暮を贈ってくるようになり、
何度かお姉さん家族と会ったり、
元・夫に内緒の私とお姉さんのお付き合いが5年間ほど続いた。

ある日お姉さんから電話があり、
「弟ががんで入院したことを、一応子供たちに伝えておいてほしい」という内容だった。
(その言葉には余命がわずかだから、
弟に娘たちを合わせてあげたいというお姉さんの願望が含まれていると思った)

そして二人の娘に連絡すると、長女はすぐに承諾したが、
次女は「会いたくない」と拒絶した。
次女は父親と一緒にいるとき、父の機嫌を損ねないよう、
1番気を使っていた子なのに、会うことをすごい拒絶したのを私は驚いた。
(とても気を使っていたけど、
親らしくない事ばかりされて、すごく傷ついていた現れなのかもしれないと思った)
私は、何とか説得して次女はしぶしぶ会うことを承諾した。

休日みんなの都合を合わせて、お姉さんと病院で待ち合わせた。

お姉さんは病室前で「ちょっと待ってね」と言い、
ベッドで寝ている元・夫に、「お姉ちゃんからのプレゼントよ」と小声で言っていた。

お姉さんから促され、娘たちが父親のそばへ寄って行った。
娘たちが高校生の時に団地を出てから15年ほどぶりの再会だった。
父親は穏やかな表情で娘を見て、娘たちは少し涙ぐんでいた。

娘たちのお父さんはかすれて出にくい声で、子供たちと話をした。

長女に「彼氏いるの?」と聞いていた。
「いないよ」と長女は答えていたけれど、
その時から付き合っていたらしい人とその後結婚して、今は3歳の娘がいる。

あれほど面会を拒絶した次女が、
「私は結婚して子供が2人いるよ、
今日は旦那に預けてきたけど、今度連れてくるね」と言っていた。

娘のお父さんは「お前たちに上げようと思ってお金をためてあるんだ」といった。

2時間ほどいただろうか?そして私と2人の娘は帰ることになり、
お姉さんが外に送りに出てきて、
「今日はありがとう、弟はいつも意識もうろうとしていたんだけど、
今日は、珍しく体調が良かった、ちょうどよい時だった」と喜んだ。

それから、母娘3人で久々にファミレスでお茶を飲みながらいろいろな話をして、
それぞれの住まいに帰った。

私は、別れた夫に娘と合わせてあげたいということよりも、
「自分の弟に子供たちを合わせてあげたいというお姉さんの願望を、
かなえてあげたい」という気持ちのほうが強かったので、
2人の娘が元夫に会う気持ちになってくれた事がとてもうれしかった。

その1週間後に元・夫は59歳で亡くなった。

生きているうちに孫の顔を見せることはできなかったけれど、
直葬の火葬場に2人の孫と次女の夫も来て、
火葬前、棺のふたを開けてお花を入れるときに孫の顔を見せた。

火葬後は、夫の両親が入っている都営霊園のロッカー式のお墓に、
お骨を納めにみんなで行き、お姉さんが亡き両親と亡き弟に「3人仲良くね・・」と言い、
娘たちは祖父母の、私にとっては元・義両親の墓参もでき良かったと思った。
納骨が終わってから みんなで昼食会をした。

お姉さんは
「弟は60歳まで生きれば充分といっていたし、ほっとした気持ち」と言い、
娘も「私のお父さんをお世話してもらってありがたいです」と言った。



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次女はのちに、「お父さんをお見舞いに行ったとき、
私たちにあげるお金をためているといってたよ」と言ったとき、
「本気にしたの?そんなお金貯めてるわけないよ、うそだよ」と、私は言った。

元夫に内緒でお姉さんとお付き合いが始まってから、
お中元・お歳暮を欠かさず贈ってくるので、
私もお返しにお中元お歳暮を贈ったけれど、
「定年退職するし、もうお中元お歳暮はやめよう」というと、
「弟の子供を、あんなに良い子に育ててくれたお礼をさせてほしいのよ・・
あなたは送ってこなくもいいからね、
私が勝手にやってることだから」と、今も毎年送ってくる。

私は自分の子なので育てて当然だし、
(娘たちが若い時は良い子でもなかったと思っているけれど)
お姉さんはとても律儀な人なので、ほんとにそう思っているらしい。

今の新団地に越してから、
お姉さんが新団地の部屋を見たいというので、
昨年はこの団地に招いて一緒にお昼ご飯を食べた。

お姉さんは、若い時はすべてにおいて自信満々な人だったけれど、
今は「人生 思い通りにはいかないわよね」と、
穏やかに話し、こういう年の取り方をしたいと、
私には見習うべきところを持った人。

嫁いでもなお実家の両親、弟の世話を背負い、
今は、自分の旦那さんが病気で65歳頃から介護が必要になり始めて、介護を頑張っている。
近隣に住む娘さんの小さい子供たちを預かることもあるという。
「大変だけど、孫は生きがい」と言い、
身内愛と責任感の強い、今も昔も真剣でひたむきに生きている女性である。


~~完~~
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