下流のお一人様家計簿blog☆彡

座右の銘#お金は取るより使いよう(ご立派な 負け惜しみ・・) 毎月の家計簿公開と その他雑多なブログです

【自己紹介】
下流界おひとりさまアラセブンと申します。

日記内での言葉遣いは、方言で書く日記、「です。ます。調」でない日記
が出てきますご無礼をお許しくださいませ。
2020年2月ブログ開始

ブログデザイン模索中のため・突然デザイン変更あるかもです。

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カテゴリ:自分のこと > 人生後半に挑戦したこと




高校生娘2人を連れて、46歳で夫と別れ稼ぐため、
「家事と介護」の仕事を始めました。
その時は介護保険施行前のため、家政婦紹介所に登録して
派遣された個人宅でホームヘルパーで(主に家事)働きました。
社会保険なしの時給制だけれど、
いきなり長時間の仕事が入り、週5日ほど働いて
給料額には満足していましたが、
区からの委託の仕事なので、ホームヘルパーという呼称で、
要介護者本人以外の家事・介護はする必要がないと言われていたけれど、
(掃除は本人の使用する場所だけ・調理は本人の分だけ作ればよいと)
登録先が「家政婦紹介所」だったせいか、
要介護者のお宅に行くと、お手伝いさん感覚で、見境なくいろんな用事を言いつけられて
やっていました。

しばらくして介護保険開始になるのですが・・・
それに先駆け、区が登録ホームヘルパーを募集していたので、
区のヘルパーなら家政婦扱いは無いだろうと思って・・
応募しました。

面接の日、数人の面接官の前で質問を受けました。
感じの良い代表のような男性が履歴書をみて・・
「ヘルパーの経験あるんですね!」
「はい!」
「給料は今いくらほどもらっていますか?」
「月によりまちまちですが20万円ほどです」
「そうですか・・・
経験者の方には是非来ていただきたいですが、こちらでは今からですので・・
どのぐらい仕事依頼があるのか?
そんなには払えないと思います」
というような会話をしました。

数日後に面接結果が手紙で届き「不合格」でした。
私は「面接官がぜひ来てほしいが、給料額の保証ができないから断ってきたんだな」と、
都合よく解釈をしました。
(こちらも合格しても、収入が安定していなければ困ると思っていたところだった)

区のヘルパー面接は不合格になり、
家政婦扱いされるのが納得いかず家政婦紹介所も辞めて、
家事のない介護だけの施設で半年ごと契約更新で、パートで働きました。
それも体力が続かず更新せずに半年で退職しました。


その後、都営団地に入居出来て、
娘が高校卒業して経済的に楽になった私が50歳過ぎに、
また区の登録ヘルパー募集がありました。
その時シニアタレントも少ししていたので、
登録ヘルパーは仕事の希望日の融通が利き都合が良いと思っていたのです。

区の登録ヘルパー面接は2年ほど前に1度不合格になっていたけれど、
履歴書を送ってみました。
面接日時の通知がきて、指定日に面接に行きました。

面接官に「私は以前1度不合格になり、今回は2度目の応募です」と言いました。

数日後、合格通知の封書が届き、登録ヘルパー採用されました。

当時はシニアタレント(主に再現ドラマの仕事)もちょくちょくあり、
こちらを優先で働きました。

タレント仕事と区の登録ヘルパーの仕事日が重なると、
タレント仕事を優先していたので、
私へのヘルパーの仕事の依頼が徐々に少なくなっている気がしてきていました。

そして・・考えたこと。
子供のころからの夢TV出演は、一応叶えたけど、
この仕事で生活できるのは絶対不可能だし、
続けていく根性もないと考えました。




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そして・・ヘルパーの仕事も苦手だけど、
この仕事を続けていくしか他に道はないと思いました。
この仕事一本でいくなら、
国民年金の登録ヘルパーではなくて、
厚生年金のある社員ヘルパーになりたいと考えました。

区のヘルパーには(名称が違うけど、わかりやすく表すと)
「①登録ヘルパー②正(準)ヘルパー③正職員ヘルパー」の様に分かれてありました。

しかし区の③正職員ヘルパーは、50歳以下しか採用しませんので、
私は応募できません。

②正(準)ヘルパーならば50歳以上可、厚生年金加入でした。

ある日、登録ヘルパーの人だけが応募できる ②正(準)ヘルパー募集があり、
早速、応募しました。
ヘルパーの格ごとに面接があり、これで区の面接は3度目でした。

何人の応募があったかは知りませんが、2人が合格しその中に入っていました。
その時期に国家試験の「介護福祉士」合格しました(介護福祉士も受験3度目の合格)

最初の区の登録ヘルパー応募1度目の不合格時に、
面接官が「ぜひ来てほしい」と言いながら。。。
支払いできる給料に自信がなかったため断ってきたと思った自分は、
それならと、
運営が落ち着いたころ。。。再応募し「面接は2度目です」といった私。
どうしてもそこに行きたかったから、2度の面接を受けたのでした。

ある有名俳優が
「無名の時にオーディションを落ちてばかりいたけれど、
いろいろなオーディションに顔を多く出すことで、
顔を覚えてもらうことが目的と思えば腐ることはなかったし、
ちょい役でももらえるチャンスがあると思っていたから」と言ってました。
そこから、今這い上がって有名になられたのですね。

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挑戦したことその②は シニアタレントです。

40歳代後半で離婚後、生活のため訪問介護ヘルパーで3年働き、50歳過ぎで施設介護の介護職員。
その間に国家資格の介護福祉士受験をしましたが、筆記試験を合格するも、実技試験で不合格になりました。
その1年後2回目は、筆記試験免除で実技試験だけを受験しましたが、これまた不合格。

筆記試験は時間内であれば答えの見直しができますが、実技はぶっつけ本番、やり直しはできません。
昔からものすごいあがり症で、口から心臓が飛びだすほどドキドキします。
(あがると心臓ドキドキするけど、さらにもっとあがると、のどがドキドキし、これを口から心臓が飛びだすと形容するんだと思いました)
この調子じゃ3回目の実技試験も自信がありませんでした。

あがり症を克服するには・・・と思っていた矢先、新聞に日本テレビで「シニアタレント1期生募集」の広告が目に留まり・・
これ行ってみようと思いました。「介護福祉士実技講習会」(ふつうはここに通う)じゃないところが、変なおばさんなんですよ私。まじめな講習会楽しくないし・・若い時、芸能界にあこがれ持ってたし、ここで挑戦してみよう!
あわよくば・・介護の仕事しなくても食べていければ・・・(いつも、こんなこと思うのです)

応募者40~50人ぐらいいたのかな?そこからシニアタレント研究生選考オーデションに6人が合格しました。
演技レッスンに週1回通いました。
数か月レッスンを受けた後、併設のプロダクションに登録してレッスン続けながらデビューとなりました。
その時「日経新聞取材」が入り、日経新聞日曜版に載りました。
写真 右から2人目が私、3人目男性は講師の先生です。

                413

当時は峰竜太さんの全盛期で「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組がありました。
平日お昼前の番組で、私たちシニア1期生6人は、再現ドラマによく出演しました。
再現ドラマは、自宅でVTRを録画したものもあるけど、編集して自分が出るところだけ残したので、
ストーリーがぶつ切りでした。

ストーリーが大体解る2本があり、以前YouTubeにアップしたものがあります。
良かったら見ていただけたら嬉しいです。

その中の一つ「女性保安員は見た」で「特殊部隊 女・エクシーダ」役をやりました。

                   nittere

                         
 

私は、訪問介護の登録ヘルパーしながら、、タレント活動があればそれを優先してましたけど、
タレント一本で生活はできませんでした。
介護事業所の正職員になったことをきっかけに、タレント活動は遠のいていきました。

日本テレビ、朝の情報番組「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組。
「電動自転車ヤマハパスの開発秘話」の再現ドラマ。
自転車販売店さんにロケに行きまして、初めて電動自転車というものに乗り、
普通の自転車では昇り切れなかったすごい坂道を、すいすい上った時は感動しました。

電動自転車を始めて作ったのはバイクの会社「ヤマハ」だったんですね。
特許申請しなかったため、他の会社からも次々販売されました。

電動自転車を販売当初、バッテリ-がすぐ切れたり不具合続きで、お客さんから苦情をたくさん言われたとのことです。
私は、その苦情を言う役だったので「ちょっと!!何よこれは!!全然だめじゃない!!お金を返してよ!!」などなど、
思いつくままアドリブで、店頭でどなり散らしたら、自転車店向かいの家の人が外に出てきて何事が起ったのか?というような顔でみてました。
私の激しいアドリブセリフに自転車店の方が「そこまではひどく言われなかったです」と、言ってました
電動自転車「ヤマハ パス」の試乗役もしています。

                      タイトルなし



あっそうそう・・3回目冬の介護福祉士実技試験は、度胸付けレッスンの甲斐あり?合格しました。
同年、秋に1回目のケアマネ試験受験不合格、次年2回目でケアマネ試験を合格しました。
(介護福祉士とケアマネ受験は挑戦とは思っていません。仕事の一環です)

その後、約10年間ほどケアマネ職をして、65歳過ぎに退職し、現在は年金生活です。

介護関係の職で厚生年金加入してきたからこそ、現在月10万円の年金生活ができているわけで、
自分のやってみたいこと「アイディアの商品・タレントの真似事」
(いずれも努力が足りなくて物にはならず、これで食っても行けず)も、
「若いころからの夢を一通り、人生後半に体験し、人生悔いなしこれでよかったのだ」と思っています。

演技レッスンは、笑う演技は難しいです。泣く演技は割と簡単でした。
これ、まさに人生そのものですね。

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挑戦したこと その① アイデアを商品化・販売です。

47歳頃 高校生の娘2人を連れて、夫の元を逃亡した(その時のことは↑に書いてます)

人生90年としても 折り返しの年齢です。
夫と一緒にいるとき、クリーニング店でパートをしていましたが、
逃亡先に借りた民間アパートの、家賃を払って生活するには、
もっと収入の多い仕事をしないと食べていけません。

前から知人に薦められていたけど、なかなか踏み切れずにためらっていた
ホームヘルパーを、その知人も登録する紹介所に登録しヘルパーを始めました。

約3年間ホームヘルパーをしてから、その後介護施設「特別養護老人ホーム」の介護職に就きました。
半官半民の施設で、私は50歳を過ぎていたので、施設介護は正職員採用にはなりません。
8時間労働の1年契約パートタイムです。それでも正職員の一人としてシフトを組まれます。
早出・日勤・遅出・夜勤です。
夜勤は職員2人体制で、70人の要介護者をお世話します。
仮眠時間があっても、仕事に慣れていない私は仮眠は取れませんでした。
私には、体力的・精神的にきつくて・・・再契約は断り1年で退職しました。
なので、あの多忙の中、施設で働き続ける職員たちを今でも尊敬してます。

施設介護職は賃金安くてきついので、職員がすぐ辞めてしまうため人手不足、
高賃金なら辞める人は少ないと言われてますが・・・
そうではないと思います。私自身は仮に高賃金でも、続けられないと思いました。

介護保険施行前は「養老院」と呼ばれて、身寄りのない自立高齢者で手のかからない入所者もいて、
職員も多くて働きやすかったと、職員は話していました。

介護保険施行後は、自立の入所者は入所できず(現在は要介護3以上)の入所しか受け入れません。
重介護者ばかりなのに、職員の人数も減らしました。
私は、賃金は納得の上で応募したので、文句は言いません。
職員の人数を多くして、1職員の負担を軽減することのほうが大切に感じたし、
虐待もなくなるのではないかと思いました。
職員の多忙の苛立ちが、虐待につながると思うのです。

介護施設を退職してから、身体的にはいくらか楽な在宅のホームヘルパー職に再度戻りました。

ある日テレビで、新宿のある百貨店で女性発明家のアイディア商品展というのを、
開催しているのをみて、そのイベントを観に行き、パンフレットをもらいました。
アイディア展は、アイディアコンクールの入賞作品の展示と、
女性が考えたアイディア商品の販売をしていました。
それに触発されて、自分も何かアイディア商品を作ってみたいと思いました。
あわよくば、それを売って生活できたら良いなと思うようになりました。

それは何か・・・?
ホームヘルパーで、雨の日個人宅を訪問するとき、
自転車で行くのに上は雨合羽、それだけではズボンが濡れるので、
下はカッパズボンを履いてました。

個人宅に到着すると、雨合羽を脱ぐのは簡単、カッパズボンが脱ぎにくかったのです。
昔・独身時代に趣味で洋裁を習って、自分の着るものを縫っていたこともあり、
靴を履いたままで簡単に着脱できるカッパズボンを、自分で作って履いていたのです。
これを商品化できないかな?と考えました。
「婦人の発明家協会」に入会して、自分の考案商品がデパート審査に合格すれば、
売り場に陳列してもらえて販売できるのです。

早速入会しました、アイディア商品はどこにもないもの(新規性)を求められます。
(協会からは特許申請を薦められる)
特許庁に提出する申請書類は、弁理士さんに依頼するのが普通ですが、
依頼料が約20年前でも最低20~30万はかかるといわれていました。

私は、自分で書けばタダだから自分で書こうと思いました。
そしてその時、母子家庭や住民税非課税世帯は、特許庁への申請料は無料だということを知り、
今しかないと思いました。

友人からワープロを借りて、申請書類の書き方を参考にタイプライターを打ち、
図面は手書きで書き特許庁に書類を提出しました。

実用新案証書を手に入れてから、カッパズボンをデパートの審査に出しました。
雨の日も楽しく過ごせるように「雨楽楽パンツ」と命名しました。

しばらくして審査合格通知が来て、デパートの「アイディアコーナー売り場」に並べてもらえることになりました。

数年経過し、アイディアコーナー売り上げが悪くなり、デパートの売り場存続問題が協会から説明ありました。
協会の説明では「数年前から売り上げが悪化していたけど、
デパートの好意でコーナーを続けていただいてきたが、
これ以上の迷惑はかけられない」という旨の説明だったと思います。
その後 売り場は廃止になりました。

自分の商品を2900円で売ろうとすると、デパートでの販売価格は、
4900円程に設定しなければならなかったので、心苦しさがありました。

ならば、この品物をネットで売ろうと思うようになり、パソコンに興味を持ちました。
このアイデア商品がなければ私はパソコンに興味を持たなかったかもしれません。

初めの動機、アイディア商品を売って生活したいという甘い夢はならず、
結局65歳過ぎまで 介護関係で働きました。

しかし、サービス提供責任者とケアマネジャー職では、パソコンが必須だったので、
アイデア商品がパソコンの動機付けになったのは良かったと思っています。
この品物のおかげで 雑誌に取り上げてもらったり、

NHKのラジオに出演したこともあります。
    nhkラジオ

だいぶん前です、NHKラジオ「ふれあいラジオパーティ」「町の発明家 集合」に
ラッキィ池田さん(タレント・振り付け師)木村勝己さん(発明プロデューサー)とゲスト出演しました。
ラッキィ池田さんはお母さんが発明好きな方で、ラッキィさんご自身も有名おもちゃメーカーから
おもちゃの発明品を販売した経験があるということで、出演され共演しました。

⁂NHKは商品名を言うなといわれ、ラジオでは商品を見せることができないので、
宣伝にはなりませんでした(>_<)


 

どんな大きな靴でも、靴を履いたまま着脱できるレインパンツの動画です。
(百聞は一見に如かず、良かったらご覧くださいね)

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