下流のお一人様家計簿blog☆彡

座右の銘#お金は取るより使いよう(ご立派な 負け惜しみ・・) 毎月の家計簿公開と その他雑多なブログです

【自己紹介】
下流界おひとりさまアラセブンと申します。

日記内での言葉遣いは、方言で書く日記、「です。ます。調」でない日記
が出てきますご無礼をお許しくださいませ。
2020年2月ブログ開始

ブログデザイン模索中のため・突然デザイン変更あるかもです。

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カテゴリ: 昔・嫁だった頃




27歳で、好きになった4歳年下の男と結婚した。
若い時の私はコンプレックスをいくつか持っていた。
そのコンプレックス部分が無い人が好きだった。
自分にないものを相手に求める心が強かった。

結婚生活に大事なことの一つは、同じ価値観を持った人と一般にいわれるが、
私はそれを求めてはいなかった。
「人見知り、方言なまり、数学苦手、運動下手」の私は、
「社交的・東京育ち・数学得意・運動得意」の男子のスマートさに惹かれたのだった。
数学運動得意は、夫になる人は全日制高校中退し、定時制高校2年に編入してきた男子で、
同クラスを過ごしたのでそれを知った。
(結婚後、夫は、定時制高校も中退した)



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夫は貯金無し、私は貯金を持っていた。
結婚当初は2人でアパート暮らしをした。

1か月の夫の3万円お小遣いは、話し合いで1日1000円にした。
当時の給料額からは多いほうだったけど、
夫は、お金遣いが荒いほうなので、
3万円きっかりでやってもらえればよいと思って決めた。

当初しばらくは、毎日1000円渡していたと記憶がある。
「何かあったら1000円じゃ困るから・・」と夫がいうので、
確かにそうかもしれないと、週始めに一週間分を渡したが、
「1万円にしてほしい」というので、
1万円を3回に分けて渡すことに・・
最後には、1か月分3万円を1度に全部欲しいと。

夫は酒好きで、気前が良かった。
会社帰りに同僚と飲みに行くと、おごっていたらしく、
給料日に月のお小遣い3万円を1度で渡すと、早い段階で使い切り、
猫なで声でお小遣い追加を要求してきた。
1回目は仕方なく渡すが、2回目・3回目になると
私が出し渋るようになる。

そうすると、「貯金おろしてこいよ!!」と、激高する。
そんな生活を、毎月繰り返していた。

こうして私が独身時代にためた貯金が減っていった。
居間6畳・DK6畳・バス、トイレ別の、
民間アパートの家賃も負担に思っていたころ、夫が言った。

「俺の実家は古い家だけど、持ち家だし自分は長男だし、
両親が同居大歓迎というから、一緒に住まないか?」

貯金が減っていき、夫と二人の生活に行き詰まっていた私は、
夫の両親がそういってくれるのなら・・と、
同居を決めることにした。

夫の実家には、何度か行ったことがある。
世田谷で敷地60坪と聞いた、そこに古~~~い小さな戸建ての平屋が建ち、
汲み取り式トイレ。
家よりも庭が3倍以上広かった。

 続きはこちら↓ 






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  ↑の記事の続きです。

夫と私は、昼間に神奈川県の民間アパートからレンタカーで東京の夫の実家へ引っ越しをした。
引っ越し荷物は少なかった。

私には初めての東京住まいになる日だった。
住居は、世田谷 敷地60坪 平屋戸建と言っても・・あばら家で・・
よく似たフリー画像↓

2623 (2)

実家の田舎では、見かけない古屋だった。
(私の実家は雪国なので、このあばら家では雪の重みでつぶれてしまう)

しかし、都会の場合は・・立地と広い土地に価値があるのだろう。
義両親は高学歴で、プライドが高い人達だけど・・
この古家については不満なく、暮らしているようだった。

引っ越し荷物を運んだ時間、義父は留守で、義母だけが在宅していたが、
どんな表情をしているかは気にしていなかった。

夕方、義父が帰宅して・・・状況が一変した。

義父は私たちが引っ越ししてくることを全く知らなかったという。

義母は「息子から同居のため引っ越ししたいと聞いたけど、
絶対反対していたし、お父さんには言えなかった」という。

そんなところに私は「両親は同居大歓迎」と夫から(嘘)聞いて引っ越ししたのだった。

私たち夫婦は義父から「出て行ってくれ!!」と、引っ越した当日に言われた。

引っ越したこの家は、小さな物置部屋が増築してあり、
引っ越し荷物とシングルベッド1台が入ったので、
寝ることだけはできた。

私は、この家にはいられないと思い、
この先の居場所のことを考えていた数日後、
妊娠の兆候が表れて、婦人科受診したら第1子の妊娠をしていた。

夫が義父にその話をすると「生まれてくる子供のために・・」と、
仕方なく同居を認めてくれた。

私はその時、定時制高校4年生だった。
夫は3年生ですでに教師とけんかして高校に行かなくなっていた。
出産予定は高校4年の1月だった。
担任に相談すると、
年末まで休まず出席すれば単位を満たすので、
卒業はできるといわれ引きつづき通学することになった。
前のアパートから高校は電車1本だったけど、
今度の家からは3本乗り継ぎで1時間ほどだった。
幸いなことに つわりが弱かったので順調に通学ができた。

義母は同居について・・
「勝手に入ってきたんだから私たちの生活は変えないでね、
これまでどうり、夫と二人暮らしのままの形でいくから」と。

それはどう言うことかというと、玄関には義両親二人の靴しか置かない事だった。

私と夫は玄関から出入りしても、脱いだ靴はすぐに玄関から見えない場所に持っていくことだった。
玄関先に訪問者が来たとき、これまで通り二人暮らしに見せておきたいということだ。

~~続きはこちら →昔・嫁だった頃 その3

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昔・嫁だった頃 その2
前回 ↑の記事の続き 

義父は、亭主関白で義母はいつも気を使って暮らしていた。

この義両親は恋愛結婚。
義父は再婚で、義母は初婚。
結婚前は義母のほうがより熱量が高くて、
自分に心を引き寄せるため、尽くしまくっていたんだろうなと想像できた。

結婚後この年齢になっても、
夕方、義父が帰宅する時間になると夏場は義父が通る敷地の地面に打ち水やら、
手抜かりなく迎える準備を確認して、小さな声で(よし!)なんてつぶやいて、
自分の夫が帰ってくる足音に耳を澄ましている人だった。
(義父が帰ってくる時間になると緊張すると言っていた)

夕食に天ぷら料理をするときは、
熱々を出したいと、足音が聞こえると同時に天ぷら油のコンロに火をつけて、
席に着いた義父にタイミングよく天ぷらを次々食卓に出していく。
義父の食べる分だけ一通りの食材を揚げると、
次は、リクエストにより揚げていくというのをしていた。

義母は天ぷらの時はひたすら揚げるだけで、
義父と一緒には食べず義父が食べ終わってから、
食べていた。

高級天ぷら屋さんか!!??って思ってみていた。

食後、しばらくすると必ずデザートのフルーツ。
入浴後8時過ぎには、毎日軽く夜食?(麺類、蕎麦が多かった)

このように、食事にはすごくこだわる家庭だった。

「家を建ててローンに苦しんで、
おいしいものも食べられない生活はつまらない、そんなのいやだわ。
安いお肉やハムは気持ちが悪い、少しでいいから良いものを食べたい」と、
いつも高い食材を買っていた。

昔は、缶ビールより瓶ビールが主流だったので、
瓶ビールと瓶入りキリンレモンのケースを酒屋が配達してきていた。
エンゲル係数高い家族だと思った。

私の夫も、このような家庭に育ち食事にはうるさい人だったので、
料理を知らない私には、毎日の食事作りが苦労なことだったが、
同居することで、いろいろな料理の手順を見ることができたので、
良かったと感じることの一つだった。

この家族の生活様式を見たとき、
私の実家の貧しい食事とは大違いで・・・
「住む国・人種が違うのか?!」と思うぐらい、
田舎者の私は驚いた。



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義父の前妻との間の子供たち3人は優秀な子供たちだったらしい。
今の妻との子は2人で、私の夫と、嫁いでいる娘(義姉)がいる。

義姉は道で芸能界にスカウトされたことがあり、父の反対で断ったそうだが、
そのぐらいきれいでまじめで、玉の輿婚をしていた。

相手方のお父さんに気に入られて、息子の嫁に是非‥と言われて、
義父は「うちはお金がないけど、娘はどこに出しても恥ずかしくないように育ててある」と、
結婚式は帝国ホテルで、費用は全額新郎側が持ったと聞いた。

義父の子供達の中で、高校中退したりダメなのは私の夫だけのようで、
亭主関白な義父は「お前の息子だけが どうしようもない子に育った」と、
義母に言うので、ずっと引け目を感じてきたらしい。
自分の血も入っているのに関白亭主はそう言い、
息子(私の夫)のことは、あまり可愛がらなかったらしい。

~続きは↓ ↓ ↓
昔・嫁だったころその4
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昔・嫁だった頃その3
   ↑↑ の続き
 義両親は、ある宗教を信仰しており、
(夫も小さい時から親に入信させられていたが、全く活動はやっていなかった)

専業主婦の義母は信仰に特に熱心で、いろいろな会合に出て人付き合いが多かった。
たまにその友人たちから外食でごちそうになると、
料理上手な義母は「ごちそうになっても、外食でお返しは高価で、できないから・・」と、
昼食に友人を自宅に招いて、手作りのごちそうをふるまって、
手料理をほめてもらうことが喜びだった。

ふるまい料理の調理時、少し私も手伝ったが、その料理を食べることはなかったけれど、
義母は、手早く器用で料理好きな人だったので、
料理が苦手の私の実母からは学べなかった料理を、
同居することで、いろいろ学ぶことができたことはよかったと思っている。

招待した義母の友人に私が、
「こんにちは」と、立ったままおじぎをして立ち去るのが不満だったらしく、
三つ指をついて「いらっしゃいませ」と言ってほしかったらしい。

義母は専業主婦で「年を取って何もしないで、
ボーっとしてボケることが一番怖くていやだから、
いろいろなことをやっているの」といい、忙しく昼間は外に出ていた。

私は、同居させてもらっている身なので、義母の留守中に家の掃除をした。
義両親だけが使う部屋もいつも掃除をしていた。

ある日、掃除機をかけていたら部屋の目立ちにくいところに輪ゴムが一本落ちていた。
それに気が付いて、
「ん!?こんなところに輪ゴム・・???」とおもったけど、
物陰だし・・・と思い、
その部分は掃除機がけを省き、輪ゴムを拾わずに掃除を終えた。

帰宅した義母「今日、掃除機をかけた?」
「はい、かけました」
「あそこに輪ゴムが落ちていたんだけど・・そのままだったわね」
「あっ、はい・・すみません」
やはり!試されていたんだなと思った。

理不尽なことがあっても言われても、自らは釈明しない。
「はい、すみません」が不可欠だ。
それがこの家で穏便に生活するため、
何よりも、自分のため・・

私の怖いところは・・
「最後に笑うのは。。私のような気がする...」と、意味もなく心の中で思うところ。


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義母は、着物着付けを習っていて出かけるときは、
自分でヘアセットをして美容院とそん色ない出来で、手先が器用な人だった。
着物姿もきりっとして素敵だった。

義母は熱心に着付け学院に通い、講師資格を取得した。
この資格を取るために、多くの金額を使ったと言い、
花嫁衣裳の着付けもできると言っていた。

講師の資格を取得して、
自宅で信仰の知り合いの方たち数人に月に数回着付けを
教えていたこともある。
その時は先生と呼ばれて、
「うちは主人も私も、先生なのよ」と嬉しそうだった。

私も、友人の結婚式出席の時に着物を着つけてもらってありがたかったし、
2人の娘たちが7歳の七五三の時は、娘の着付けもしてもらった。
着付けのセンスは素晴らしく、着崩れにくくさすがプロという仕上がりだった。

続き↓

昔・嫁だった頃⑤愚痴らずとも周りはわかっていた

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 昔・嫁だった頃④ ←の続きです。

私は歓迎されていなかった居候の身でもあるので、
いつも自分の感情を表に出さず、過ごしていた。

義母は夫と体質が似ており、アルコールとたばこ好きな人だった。
朝起きて一服したいときにタバコの買い置きが切れていると、
(朝・タバコの買い置きが切れていることがほとんどだった)

灰皿にある自分が前日吸った吸い殻を拾って、指で伸ばしてそれを吸っていた。
外では、プライド高く上品をふるまっているが、
同居すると見えてくる、他人には見られたくないことをしているのだな・・
(人間だものいいじゃないかと、私は逆にホッとした)

暑い日は一人で昼食にビールを一本飲んでいた。
それが、気を遣う夫のいない昼間の楽しみだったのだろう。

夕方になると、毎日ビールを飲みながら夕食を作っていた。

夕食時に、義父は酒は弱く小ビンのビールをコップ1杯飲むだけだったが、
義母は、今日ビール飲むのがその時が初めての顔で、一緒に飲んでいた。

そして夕食時のビールから始まり、寝るまではウイスキーをちびちび飲みたい人で、
それを義父に「まだ飲むのか!!」とたしなめられるので、

           d977_2 (3)
 湯のみの↑そっくり画像(色はもう少し濃い目だった) 
いつもウイスキーを濃い色の湯呑に入れて、お茶を飲む振りをして飲んでいた。



それから、私たち夫婦は、物置部屋でシングルベッドに二人寝る生活も狭いし、
冬には子供も生まれるので、
広い庭に、6畳一間のプレハブを建ててそこに住み始めた。
当時の価格は、40万円ほどだったかな?
そして、私の独身時代の貯金が底をついた。

  建てたプレハブのそっくり画像 ↓
         yhn-60_1

トイレ・水回りは無いので、これまで通り、義両親が住む家を使った。

食事は、義母の希望で、一つの台所で時間差で別々に作っていた。
夕飯後の食器の洗い物や片づけをしている間、
夫が一人プレハブ部屋で飲んでいるところに、
義母がプレハブ部屋に訪ねて行って、楽しそうに話をしながら二人で飲んでいた。

夫と義母は酒好きなところが気が合っていて、
いつも気を使う義父から離れて、
息子と酒を飲めるプレハブ部屋が出来て、
そこが義母のオアシスになっていたのだろう。

二人で飲みながら、時には日中あったことで私への不満を義母は話すらしく、
台所片づけが終わりプレハブ部屋に戻ると夫が、
おふくろが言ってたけど、おまえ今日はこんなことしだったんだって?!
何やってんだよ!!と、私に言うこともあった。

私への義両親の評価は「挨拶ができない、何を言っても感じていない」が冒頭に来て、
その他不評がいろいろあった。

私は、子供のころから言い争いが苦手で、
夫にも、義両親にも反論する気がなかった。
それを何も感じていないと思っているようだった。

反論しても、解ってなんてもらえないことが私には分かっているから・・

私の性格で恐ろしいのは「そう思うんだったら。。そう思ってて。。結構です。
最後に笑うのは私!のような気がする・・」と、わけもなく思うことだった。


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夫が「お前も入信したら、おふくろに可愛がってもらえると思うよ」という、
義母は「あなたを嫁として認めていないけど、
息子のお金のしりぬぐいをしなくてよくなったことだけは、良かったわよ、
今まで、お父さんに内緒でどれだけお金を使わせられたか!
息子のことで困ってるならあなたも勤行しなさい」と言われていたので、
入信していないのは私だけだし、
同居する以上は少しでも気にいられるほうが良いと思い入信した。
(のちに離婚後に脱会して現在は無宗教)

嫁として認めていないといっても、結婚式に新郎の両親として出席した。
もっとも、式費用は夫は貯金持たず、
新郎側の親も出す気なしで、ご招待なら出席するというので、
ご招待という形で出席してもらったのだった。

宗教には座談会があり、
その時は若かったので私はヤングミセスの座談会に出席した。

参加者が「あなた、○○さんのお嫁さん?
○○さんに息子さんがいるなんて知らなかったわ。
お母さんは娘さんの自慢話はしょっちゅうするけど、
息子さんの話は全く聞いたことがなかったので、
息子さんがいること全然知らなかった!!

あのお母さんじゃ大変でしょう?よくつとまってると思うよ」という。

私が、何も言わずともみんな義母の性格を知っていて、同情的だったのが救われた。

そこで その気になってお姑さんの愚痴をこぼすと、
「お嫁さんがこんなこと言ってたわよ」と、義母の耳に入る可能性もあるので、
何も言わなかった。

「おとなしいけど芯が強いお嫁さんね」と言われて、
そのような嫁さん像で私は満足だった。

自分は、決して明るい嫁ではない。
しかし、お姑さんからきついことを言われたからと、
めそめそと被害的な考えはしない、
そう、芯は相当強い女なのです。

お小言を言われても、一応は認め謝っておく。
反論で言い合っても、溝が深まるだけで理解はしてもらえないだろう。
認めて謝っておけば 相手の気が済む。

相手が気に入らない事はどんなことか?
(私、性格はなかなか直せないし、
もし、容姿が気に入らないといわれても直しようがないけれど)
生活面での気に入らない面が具体的に分かれば、直しようもあるので勝ち。
(負けるが勝ちという言葉がすき)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このしつこい長い愚痴話を辛抱強く、読んでくださる皆様ありがとうございます(^^)/
ええ加減にせぃ!!もう飽きたわ!!と思われてるかもしれません(>_<)
あと2回で終わります。

次回の2回は、私も予想していなかった結末が待っていました。
あと少しのご辛抱を・・(^_-)-☆

その続きはこちら→ 昔・嫁だった頃⑥
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昔・嫁だった頃⑤同居生活を愚痴らずも周りはわかっていた
↑↑↑ の続き

 同居を始めて、だいぶん後で私が知ったこと。

今、住んでいる敷地60坪の古戸建ての家は、都営住宅だったこと!!!


義母に「○○さん(夫の名前)から持ち家と聞いてました」というと、

「息子が知らないはずないわよ、息子があなたにうそをついてんのよ、
前に都からこの土地を払い下げにすると言って来て、
値段まで決まっていたのに、都が急に撤回したから、
ここに住んでる人達で、払い下げの運動をしてるけどダメなのよね」
住人全世帯5件ほどで運動しているけれど払い下げにはならず、
家賃を払って住んでいる戸建ての都営住宅ということだった。

この古戸建都営住宅に私たち夫婦が転がり込んでからも、
夫は、小遣いが足らず、給料から追加で渡しても足らず、
義母から借りていて、
夫の給料日になると
「この前、息子にあなたに内緒で・・と、お金貸したのよ、
返して!!」と言われ私が返し、また夫が借りるを繰り返した。

夫が独身時代は、息子にお金を貸すとそのまま返らなかったったけど、
結婚したら、私から返してもらえると思っているので、
それだけが、息子の結婚で良かったことらしい。

そしてよく義母は、
「ここにいれば あんたたちただで住めるし、新聞もタダで読めるし・・
外に出ればそうはいかないんだよ」が口癖だった。

光熱費は折半で払っていたが、
新聞代と、私が知らなかった都営家賃は、義両親が払っていた。

東京住まいが初めてで、都営住宅のことをよく知らなかった私が、
後々に思ったことは「民間と比べて家賃も格段に安い住宅だったけど、
なかなかに息子家族に厳しい両親だったな」ということ。

義母が「娘がお金に困ったら、娘の家族が、娘可愛さに出すもんなのよ」と言い、
義父が「お前の実家は、お金持ちやからなぁ」という。

東京で結婚した娘が、夫の実家にいて夫姓を名乗っていても、
遠方実家の富山の親が金銭援助するのが普通のこと?
東京ではどの家庭でもそんな風潮なのか?と、驚いた。

夫が全日制高校3年で、あと少しで卒業という時期に中退したとき、
義母が高校卒資格だけはどうしても取ってもらいたくて、
息子が社会人で収入もありながら、
安い定時制高校の(給食費込み)授業料を、
義母が払っていたと同居して初めて聞いた。
(それでも夫は定時制高校も結局、中退した)

結婚後は、息子夫婦にはわずかでもお金を使いたくない、
困ったときは嫁の実家に頼れというのが、この家の方針のようだった。
(私は自分の実家に、一切頼る気はなかったが・・)



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庭にプレハブ部屋を建ててそこに住んだ時に、
夫は夕方暗くなると、親の住む建物のトイレに行かず、
いつもプレハブの掃き出し窓から庭に用を足していたので、
下に植えてあったつつじにかかり、木が枯れてしまって親から苦情を言われていた。

義母は私に、
「妊娠してると、トイレが近くなるでしょ」と、
プラスティック製ポータブルトイレを買ってくれた。
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夜9時過ぎごろから朝までは、
義両親の住む家はきっちり戸締まりをする。
トイレを使うため鍵を開けて家に入ってこられたら、
自分達は熟睡できなくなるからと、夜間は家のトイレを使わせられないので、
気を使ってくれたのだった。

でも、6畳一間のプレハブで、
夫の横で仕切りもない場所でのポータブルトイレで用を足すのも、
健康で若い私には抵抗があった。

夜に義両親の家が、雨戸を閉めて戸締りをしてトイレが使えなくなり、
夜中トイレに行きたくなった時、
私もこっそり庭に出て、
暗~い木の陰に隠れて、たまに用を足していたことは、
夫にも義両親にも内緒で、誰にも知られてはいけない私の秘密。
(田舎では、子供の頃、外遊びの時に外でおしっこしていたので、
都会の人より慣れていた(>_<)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次回は最終回です。
「無事に第一子出産し、2年後に第2子出産したときに迎えた予想外の急展開」と、

「義母が言った、忘れられない言葉」で、締めくくりたいと思います。
  ↓ ↓ ↓
昔・嫁だった頃⑦義母の忘れられない言葉

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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妊娠中の大きなお腹で、定時制高校4年の12月の最後の登校日まで通学した私は、
以前から義母に「産後の娘の世話は実家がするもの」と言われていたので、
翌年の出産予定日に備えて、師走の 夜行列車で実家に向かった。

年明けの1月、予定日より10日早く長女は無事健康に生まれて、
産後の3か月間を実家で過ごし、東京に戻った。

義父は、赤ちゃんも女の子が好きなので、
長女をかわいがってくれた。

義母は自分が入浴するときに、時々長女を一緒にお風呂に入れてくれて、
ありがたかった。

同居生活を3年ほど過ごしたとき、第2子を妊娠し、
私は長女を連れて寝台夜行列車で実家に行き、また里帰り出産をした。
産後3か月後に東京に戻る予定だった。

実家で第2子次女の出産後を過ごしていると、
夫から「急に、住んでいる都営の戸建取り壊しのため立ち退き移転話が出た」と、
電話連絡があった。

対象世帯は都営戸建に住む全5世帯程だったので、話が早く進んだのだろう。

同区内に建設済みの、新築団地に移転することになり、
私たち家族は、義両親世帯・夫世帯の、夫婦2組だったので、
2世帯分の住居を割り当てられた。

次女を出産した3か月後に、実家の母に付き添ってもらい東京に戻ったときは、
すでに新築団地に引っ越し済みで、
私と二人の子供たちは新しい団地に帰ったのでした。

それで、義両親との同居は、3年ほどで終わりになりました。

賃貸都営戸建ボロ屋の建て替えで、
移転した新築団地で,義両親と完全別居になったからです。

良い時期・良い機会に新築2DK団地に別居となりました。

夫両親との同居を続けていなければ、新築の都営団地には入れなかったし、
同居で義母から料理を教わったし、過ぎてみれば同居は良い結果でした。

引っ越し当日に「出て行ってくれ!!」と、義父から言われたけれど、
長女の妊娠が分かり、子供のためと同居を許してもらったこと。
この時に妊娠がなければ、
夫と民間アパートに出て相応の家賃分の出費で、
経済的に苦しい生活に逆戻りすることになっていたはずです。

定時制高校4年在学中の妊娠だったけれど、
単位が取れて卒業できたのも幸運でした。

古戸建の庭に6畳1間のプレハブを建てたけど、
トイレ、キッチンもなくいろいろと水回りの不便があり、
夜間用に、蛇口付きのポリタンクに水を入れて置いていました。

子供2人になれば、プレハブ6畳一間では手狭だったでしょう。
2人目出産と同時に、2DKバストイレ付住居に入居できたのは、
とてもありがたいことでした。


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自分は、昔も今も決して幸運でラッキーな人生だったとは思っていないけれど、
いつも考えていたのは、義務教育卒業以降は、
すべて自分の選択・判断で歩んできたことなので悔いてはいない。

私は特殊な思考の持ち主かもしれません。
わたしの人生観を培ったと思われる、以前書いた記事 → 人生観・男性観

たとえば、相手の負の言動、相手から自分への負の言動を、
心に敏感に感じ取っているとしても、
「時に・・気にしないふり、
相手が都合の悪い知られたくないと思っていそうなことは、
知らないふりをしてあげる鈍感力」を持つこと、

学のない私、うまくは言えないけど・・
そんな鈍感力が必要な場合が、
人間にはあるのではないかなと思い生活してきました。

自分には、棚ぼた、くじ運はないけれど(>_<)・・
機会と時期には恵まれていたのかもしれないと思っています。

夫の両親と完全別居し・・10数年が経ち、
まだその時は介護保険もなく認知症と言わず痴ほうと言っていた時代です。

70歳前後からプライド高いきつい性格だった義母に、
痴ほう症状が現れはじめました。
性格が柔らかくなって、かわいいおばあちゃんになっていきました。
(でも、これは私の無責任思考です。
認知症状の本人・義父・義姉は戸惑ったことでしょう)

私のことも、嫁姑関係も忘れたみたいでちょっと笑顔で、
どんな話にも義母は「あ、そう・・あ、そう・・」と、答えていました。

義母が亡くなった年齢75歳だったと聞きましたが、
その数年前に私は夫と離婚して、
民間アパートに住んでいたので、関わりがありませんでした。

この記事で義母のことばかり書きました。
嫌いで書いたわけではありません。
同性として見習いたいところもあり、同情するところもある女性でした。

義父は再婚、義母は女学校出のきれいなお嬢様9歳年下の初婚で、
義母はなぜそこまで熱量高くがむしゃらに尽くしたのでしょう?
義母がチラッと話したことで(私はさらに掘り下げて聞くことはしなかったけど)
夫との入籍が子供が生まれた後からで、すごく遅かったようで・・
私の想像ですが、相手の気持ちを前の奥さんから自分に向かせるために、
一生懸命尽くしたのかな?と、思いました。

義父のことはあまり書かなかったけれど、
義父は高学歴、ちょっと見た目が良い男、口達者で女性好き、
生きたいように生き、やりたいようにやって
妻に尽くしてもらい幸せな一生だったと思っているので、
書かなかったのです。

プライド高い女性だった義母から聞いた忘れられない言葉が一つあります。

「夫に文句言われないために、
一生懸命やってそれでも文句を言われるんで
腹立って・・これでもか!ってぐらいやったわよ、
でも文句言われた。

それで、心を込めるようにしてやるようにしたら、
文句が出なくなった。
気持ちが大事ね、
同じことでもコノヤローと思いながらやるのと、
心を込めるのとでは違うのね。
相手に伝わるのよね」

~~~終わり~~


「昔・嫁だった頃」①~⑦まで、長文の日記を読んでいただきありがとうございました。

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