挑戦したこと その① アイデアを商品化・販売です。

47歳頃 高校生の娘2人を連れて、夫の元を逃亡した(その時のことは↑に書いてます)

人生90年としても 折り返しの年齢です。
夫と一緒にいるとき、クリーニング店でパートをしていましたが、
逃亡先に借りた民間アパートの、家賃を払って生活するには、
もっと収入の多い仕事をしないと食べていけません。

前から知人に薦められていたけど、なかなか踏み切れずにためらっていた
ホームヘルパーを、その知人も登録する紹介所に登録しヘルパーを始めました。

約3年間ホームヘルパーをしてから、その後介護施設「特別養護老人ホーム」の介護職に就きました。
半官半民の施設で、私は50歳を過ぎていたので、施設介護は正職員採用にはなりません。
8時間労働の1年契約パートタイムです。それでも正職員の一人としてシフトを組まれます。
早出・日勤・遅出・夜勤です。
夜勤は職員2人体制で、70人の要介護者をお世話します。
仮眠時間があっても、仕事に慣れていない私は仮眠は取れませんでした。
私には、体力的・精神的にきつくて・・・再契約は断り1年で退職しました。
なので、あの多忙の中、施設で働き続ける職員たちを今でも尊敬してます。

施設介護職は賃金安くてきついので、職員がすぐ辞めてしまうため人手不足、
高賃金なら辞める人は少ないと言われてますが・・・
そうではないと思います。私自身は仮に高賃金でも、続けられないと思いました。

介護保険施行前は「養老院」と呼ばれて、身寄りのない自立高齢者で手のかからない入所者もいて、
職員も多くて働きやすかったと、職員は話していました。

介護保険施行後は、自立の入所者は入所できず(現在は要介護3以上)の入所しか受け入れません。
重介護者ばかりなのに、職員の人数も減らしました。
私は、賃金は納得の上で応募したので、文句は言いません。
職員の人数を多くして、1職員の負担を軽減することのほうが大切に感じたし、
虐待もなくなるのではないかと思いました。
職員の多忙の苛立ちが、虐待につながると思うのです。

介護施設を退職してから、身体的にはいくらか楽な在宅のホームヘルパー職に再度戻りました。

ある日テレビで、新宿のある百貨店で女性発明家のアイディア商品展というのを、
開催しているのをみて、そのイベントを観に行き、パンフレットをもらいました。
アイディア展は、アイディアコンクールの入賞作品の展示と、
女性が考えたアイディア商品の販売をしていました。
それに触発されて、自分も何かアイディア商品を作ってみたいと思いました。
あわよくば、それを売って生活できたら良いなと思うようになりました。

それは何か・・・?
ホームヘルパーで、雨の日個人宅を訪問するとき、
自転車で行くのに上は雨合羽、それだけではズボンが濡れるので、
下はカッパズボンを履いてました。

個人宅に到着すると、雨合羽を脱ぐのは簡単、カッパズボンが脱ぎにくかったのです。
昔・独身時代に趣味で洋裁を習って、自分の着るものを縫っていたこともあり、
靴を履いたままで簡単に着脱できるカッパズボンを、自分で作って履いていたのです。
これを商品化できないかな?と考えました。
「婦人の発明家協会」に入会して、自分の考案商品がデパート審査に合格すれば、
売り場に陳列してもらえて販売できるのです。

早速入会しました、アイディア商品はどこにもないもの(新規性)を求められます。
(協会からは特許申請を薦められる)
特許庁に提出する申請書類は、弁理士さんに依頼するのが普通ですが、
依頼料が約20年前でも最低20~30万はかかるといわれていました。

私は、自分で書けばタダだから自分で書こうと思いました。
そしてその時、母子家庭や住民税非課税世帯は、特許庁への申請料は無料だということを知り、
今しかないと思いました。

友人からワープロを借りて、申請書類の書き方を参考にタイプライターを打ち、
図面は手書きで書き特許庁に書類を提出しました。

実用新案証書を手に入れてから、カッパズボンをデパートの審査に出しました。
雨の日も楽しく過ごせるように「雨楽楽パンツ」と命名しました。

しばらくして審査合格通知が来て、デパートの「アイディアコーナー売り場」に並べてもらえることになりました。

数年経過し、アイディアコーナー売り上げが悪くなり、デパートの売り場存続問題が協会から説明ありました。
協会の説明では「数年前から売り上げが悪化していたけど、
デパートの好意でコーナーを続けていただいてきたが、
これ以上の迷惑はかけられない」という旨の説明だったと思います。
その後 売り場は廃止になりました。

自分の商品を2900円で売ろうとすると、デパートでの販売価格は、
4900円程に設定しなければならなかったので、心苦しさがありました。

ならば、この品物をネットで売ろうと思うようになり、パソコンに興味を持ちました。
このアイデア商品がなければ私はパソコンに興味を持たなかったかもしれません。

初めの動機、アイディア商品を売って生活したいという甘い夢はならず、
結局65歳過ぎまで 介護関係で働きました。

しかし、サービス提供責任者とケアマネジャー職では、パソコンが必須だったので、
アイデア商品がパソコンの動機付けになったのは良かったと思っています。
この品物のおかげで 雑誌に取り上げてもらったり、

NHKのラジオに出演したこともあります。
    nhkラジオ

だいぶん前です、NHKラジオ「ふれあいラジオパーティ」「町の発明家 集合」に
ラッキィ池田さん(タレント・振り付け師)木村勝己さん(発明プロデューサー)とゲスト出演しました。
ラッキィ池田さんはお母さんが発明好きな方で、ラッキィさんご自身も有名おもちゃメーカーから
おもちゃの発明品を販売した経験があるということで、出演され共演しました。

⁂NHKは商品名を言うなといわれ、ラジオでは商品を見せることができないので、
宣伝にはなりませんでした(>_<)


 

どんな大きな靴でも、靴を履いたまま着脱できるレインパンツの動画です。
(百聞は一見に如かず、良かったらご覧くださいね)

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