yjimage

  ↑の記事
私の日記2回にわたり 「あっという間に大金を失った3人」の話を書きましたが、

さて、本日は「1000万円を7年で貯め、2年で失った人」4人目、私自身の話です。
(真打登場!!ってか!?)

「あっという間に大金を失った人」略して・・「あっという間に大金を失った人」の話です。
「ちっとも略してねえじゃねえかと、志村けんコントならここで田代マーシーの
激しいツッコミが入るところですね。 あの二人のコントは大好きでした

本題です。

私の元・4歳年下夫は転職を繰り返す人で、
夫23歳、私27歳で結婚して7年目の、夫30歳ごろに4回目の転職をしました。

転職先は、ある人の紹介で青果店(八百屋さん)に勤めました。
35年ほど前の話です。
その青果店は(社会保険加入無し)給料が25万円ほどだったと思います。
年2回のボーナスも、今まで働いた仕事の中で一番多かった。

私は専業主婦だったけど、臨時収入もあり、今までにない贅沢な生活をしました。

その臨時収入というのが・・
夫曰く・・「市場の仕入れを(青果店の経営者・親父さん)から任された。
市場の仕入れに自分の青果店は現金仕入れをしていて、
例えば30万円分の青果を仕入れて、現金払いするから・・と、値切る。
値切った金額は、自分の腕だから返さなくてもよいと親父さんから言われている」そうで、
仕入れのある日は、値切った分のお金から自分の小遣いを取り、
余った1~2万円を私に渡すのです。
(これは永遠に続くわけがなく、青果店をやめたら終わりになると、覚悟はしていましたが。。)

結婚後、お金遣いが荒くて私を困らせていた夫は、この青果店に勤務してから、
給料から小遣いをわたす必要がなく、とても楽でした。

夫はこの時期、月20万円ほど、小遣いを使っていたと思います。
外食をするときも、給料で支払うことがなく、夫のお小遣いから払っていました。
なので、貯金がたくさんできました。

夫はどこに行っても第一印象がとてもよく、気が利くので青果店の親父さんからも、
信頼されていたと思います。
これまで勤務していた会社なども、はじめはすごい好印象を持たれるのですが、
少しすると、短気が顔を出し ちょっと上司から注意を受けると、
会社を飛び出してそのままやめてしまうというパターンが多かった。
結婚して5年以内の間にも、勤務中に会社を飛びだしてきたということが2回あった。
当時は、会社から給料手渡しの時代だったので、勤務日の給料はもらわずじまいになった。

青果店は7年間務めて、やめたので一番長続きしたほうだしきちんとやめたほうです。
勤務5年目ごろだったかな?
私の夫と青果店近くのパン屋の店員の人妻とが、浮気をしていることが、
青果店の親父さんの耳に入り、注意をされたことが引き金で、
親父さんとの仲が悪くなりました。
(私は以前から夫が浮気をしていることは知っていましたが、
経済面で困らせることがなかったので、黙認していました。
多分その前からも、何がしかの良くない印象を親父さんに与えていたんだろうと私は、思っています)

その時の話
夫が連れてきた女

そんなこともあって夫は「1000万円たまったら青果店(八百屋)をやめて、
1000万円で ラーメン屋を開店したい」
と言い出しました。

夫は手先が器用で、料理も得意でした(私が作った料理には文句ばかり言ってました)
家で鶏がらから本格スープのラーメンを作って食べさせてくれて、確かにおいしかった。

お金は、私が銀行に預金に行っていましたから、1000万円がたまった時、夫に言いました。
目標金額がたまったことを聞き、間もなく夫は青果店を勤続7年でやめました。

もっと地味に生活していたら、もっと早く目標金額がたまっていたと私は思っています。

このころ私は、近隣の切手通販の会社で週4日のパートを始めてました。

数か月後に夫はラーメン店舗探しをはじめました。
何件か不動産屋から紹介してもらい検討するのですが、ネックは高い家賃でした。

なかなか希望物件が決まらないとき、
夫が「やっぱり、ラーメン屋をやめて、この1000万円は使わずに、
普通の会社で働こうかな?」
と、言いました。

私は夫が普通の人間だったら、それが一番良いと思ってましたが・・・

(この人は、普通の会社に勤め普通の給料だったら、
小遣いが足りなくて、貯金を下ろして来いというだろう。
いやだと言っても、聞かない。なにがなんでも下ろさせる。今までがそうだった。
そうやって、私が独身時代に貯めたお金を 全部下ろさせた。

会社も長続きするとは思えない、会社で何かを言われたらカッとなってやめてくる。
そしたら生活費が足りなくなり、預金を下ろせという。
イライラを繰り返し、繰り返しながら・・1000万円が消えてしまう。
お金が無くなると、ほんとはラーメン屋をやりたかったのに、
お前が反対したからやれなかった!!というだろう)と、容易に想像がついた。

私は(どの道1000万円が消えるなら、自分のやりたいことをして消えたほうが良い)と考えました。


「ラーメン屋やりたいんだから やったほうがいいと思うよ」と、答えました。

夫は嬉しそうでした。

ある日良い店舗が見つかったと言いました。
当時、JRはまだ国鉄の時代で、中央線高架下の店舗です。
居抜き店舗で、前はカウンターだけのうどん屋をしていたという。
家賃が3万8千円程でした。
ラーメン屋で丸椅子を置くと、7人でいっぱいの小さな店舗です。
夫はその店舗が気に入り、賃貸契約をしました。



style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-3159902706487772"
data-ad-slot="8389535142"
data-ad-format="auto"
data-full-width-responsive="true">



月家賃は安いほうだけど、居抜き料、敷金、
お店の小道具いろいろ揃えたら500万円はかかったと思う。
残金は運転資金です。

ラーメン屋の開店時、
青果店からお祝いの花輪が届きラーメン屋の店先に華やかさを添えた。
お祝い金もいただいて、青果店の親父さんの懐の深さを感じた。

小さな店だったので、はじめはちょっと私が手伝ったものの、
夫はすぐに慣れて一人でやるようになりました。

開店準備の仕込み時、店が暇なとき 
売りもののビールをたくさん自分が飲んでいたのも
予想通りでした。

開店1年が経とうとするちょっと前から
開店時間が不規則でばらばらになり、
予告なく臨時休業をするようになり・・・

やがて開店日より、休業日が多くなり・・・2年で破綻しました。
その後もしばらく放置し家賃滞納しました。
やめるなら閉店手続きをするように言いましたが、
いくよ、いくよというだけで、らちがあきません。


私がパート仕事が休みの時に出向いて 閉店手続きと、
返還される敷金で家賃を相殺してもらって終わりにしました。

7年で貯めた1000万円を2年で失いましたけど、
夫が働いて貯めたお金です。

ラーメン店を反対した私を、恨みながら勤め人をやって小遣い足りなくなって、
生活苦しくて、下ろして来いと怒鳴られて、
いらいらしながら下ろしていずれ無くなる、悩みの種生む1000万円より、

夫がやりたかったことをやって、無くなる1000万円。

どうせ失う1000万円、
私にとって
(あてにできない身につかないお金は、さっさと手放す)
そのほうが良いと思ったし
今でも あれでよかったと後悔なくさっぱりした思いでいます。

以上の話は2人の娘がまだ、小学生の時でした。
その後の生活は苦労しました。
(国民年金も 未納でした)

そして、娘たちが高校生になった時、母娘3人で夫から逃亡しました。
その時の話は↓に書いてます。
2020年2月7日

結果良かった夫との別れ方




ランキングに参加しています
応援クリックをいただけたら励みになります

にほんブログ村 その他生活ブログ 家計管理・貯蓄へ
にほんブログ村   人気ブログランキング