人生観・男性観その2(子供時代)
↑ の続きです。
この記事を書いていると、いろいろなことが思い出されて、
長文になってしまいますが、
私たち姉妹は父にいじめられたことはなく、
遠い昔のことなので、父に恨みもありません。
この記事は、自分が物心ついてから父が亡くなるまで
私が感じていた家庭への愛憎と葛藤の記録です。
======================
小学校の時、私が「この家をどうにかしたいね」と姉に言うと、
「仕方がないよ、運命だよ、どうにもならない」と大人びたことをいう。
私は他人から愛想のない子とみられていたと思う、
姉のことはおとなしい子と誰もが言っていた。
姉が中学生の時
「家庭環境が悪くて子供がぐれるなら、自分たちもぐれてるはずだよね」
と一回だけ言ったことがある。
普段おとなしくて、父のことは何も言わない姉だったけど、
そう思っていたんだなと思った。
思春期の私は、心の中で考えていた
(生きていたくもないけど、死ぬ勇気もない、
生まれてこないのが一番良かった。
もし父ちゃんに「母ちゃんと仲良くしてください」と、
自分が遺書を書いて死んだとしても、
父ちゃんが母ちゃんを大事にするようには絶対ならないだろう。
もっとひどく母ちゃんを責めるようになるだろう、それじゃ死ぬ意味がない)と、
死ぬ勇気もないのに そんなことをよく考えていた。
style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-3159902706487772"
data-ad-slot="8389535142"
data-ad-format="auto"
data-full-width-responsive="true">
もうすぐ中学3年になるころだったと思う、
そろそろ就職も考えるようになれば自分は大人だと思い、
大人としての自分がどうしても一度だけ、
父と二人になった時に聞いてみたいと思っていたことを冷静に聞いた。
「父ちゃんは母ちゃんを何であんなにいじめるが?」
「母ちゃんは、どんなことを言っても出て行かないからじゃ」
(父は妻に逃げられることがない安心感を持っているのか・・
母の話では、嫁に来てしばらくたったころ、
父の暴言暴力で実家に帰ったことが何度かある。
その時に父はいつも迎えに来て、
実家の親に、暴力を「もう、しません」と言って連れ戻されていたといった。
母は実家に帰っても、兄の家族に子供がいたし、
兄嫁に嫌な顔をされたので、
実家に居続けることはできなかったとも言った)
「そんなら、おばば(祖母)には?」
「学校に行きたかったけど、行かせてくれなかったから、
それと、小さいとき自分は、ばあちゃん子でかわいがられた。
離れたくなかったけど、離されたから」と(富山弁で)言う答えだった。
(祖母は、若いころ長男家族のところに嫁に入ったが、
姑とうまくいかず、姑夫婦と別居をした。
時代は大正時代初期、
嫁に来た後に別居など考えられなかった時代だろう。
おばあちゃんにかわいがられていた父が、
別居によりおばあちゃんから引き離されたことが悲しかった、
」気の強い母を恨んだんだな、
それと父はすごく勉強ができる子だったらしいけど、
貧乏で学校に行けず勉強をさせてもらえなかったことを恨んでいるらしい)
自分の親への恨み事、それを差し引いても父の性格、暴言は異常だと思った。
その後、母に「この家を出よう」と言ってみた。
「行くとこないし、あの子(長女)がかわいそうで置いていけない」という答え。
(出る気はないってことだな)
もし、母と家を出たとして、家に残った人のことを一番心配しているのは私も同じ。
(私は、祖母とも、父とも血がつながっているし、嫌いなわけではない。
家を出ても この気持ちがすっきりするとも思っていない)
でも、うまくいかないときは、離れるのが解決策だと思うから言ったみたまで・・
(家族のみんなが、世間体も考えると、
この家族構成を変えることはできないとおもっていて、
私だけが、どうにかしたいと一人で考えていたといえる)
私はもうすぐ中学卒業、
家から離れ寮生活ができるところに就職したい。
(夢は女優で成功しお金を貯めること)
お金を貯めて住むところを確保してから、
母を呼ぼうとその時は強く思っていた。
(夢は夢として・・)中学卒業して、
石川県の紡績工場で寮生活をしながら働いた。
家を離れ寮生活をしても、
夜になると(今頃は母ちゃんが父ちゃんにいじめられてるんだろうなと考えてしまい)
ホームシックになった。
その紡績工場を2年で退職して、
実家の富山県に戻り、実家から徒歩で1時間ほどかかる電気部品の町工場に就職した。
この工場の一部は、2交代制勤務の職場があり、
2交代勤務の独身者が希望すれば寮生活ができた。
私は、家にいるのが嫌なので2交代勤務で寮生活をした。
姉は長女なので家の跡取りをしなければならないため、
機織り工場に就職し家から仕事に出かけていた。
そして、姉が婿さんをもらう年齢22歳に近づいた。
(私の地方では婿取りは早く結婚する慣習があった、
23歳では遅い、22歳までに・・といわれていた)
おとなしい姉は「こんな家に来てくれる人がいたら、誰でもいい」と、言っていた。
そんな姉に 縁談を世話する人が見合いの話を持ってきた。
お見合い相手は隣の村の男性で、姉の一歳年上。
同じ小・中学校出身だったので、私も、その人の顔を知っている人だった。
~~つづきはこちら
人生観・男性観その4(姉の結婚と破綻)
ランキングに参加しています
応援クリックをいただけたら励みになります
にほんブログ村
人気ブログランキング