↑の話の続きです。
重い話の長文ですが、最終回まであと少しのご辛抱を・・願います。

最終回はちょっとほのぼのした話を書きますので・・・
以下本文です。

姉は世間でいう結婚適齢期の年齢になり・・

おとなしい姉は「こんな家に来てくれる人がいたら、誰でもいい」と、言っていた。
そんな姉に 縁談を世話する人が見合いの話を持ってきた。
隣の村の、姉より1歳上の男性で、
同じ小中学校出身だったので、私も、顔を知っている人だった。

お見合いで、父親がその人を気に入って、結婚話がまとまった。

当時の結婚式は 自宅で行うのが普通だった。
結婚式で、一番うれしそうに見えたのが父だった。

姉夫婦の寝室になる部屋で、
お仲人さんを介添えに三々九度の盃を新・夫婦が交わすとき、
父が「高砂や~」の唄を唄った、父の歌は生まれて初めて聞いたが、
上手だったのが意外だった。

私は、結婚式という目出たい日なのに、これからの家族の先行きがすごく不安だった。
(この父親と婿さんはうまくやっていけるんだろうかというよりも・・
父とうまくやっていける男なんていない、
たとえ、どれだけ真面目な人でも父と合う人はいない、の考えのほうが強かった)

私は、ふとにぎやかな宴席を離れて、
振りそで姿で外に出て、そんなことを考えながら遠くを見つめながら立っていたら、
母親が私を見つけて近くにきたときに、
私は、ワッと泣いた。
(母はその時、私の涙の理由をどう思っただろうか?聞いてこなかったし、
私も、言葉に出してはいけないことと思っていたので言うつもりもなかった)

婿さんは酒好きな人で、父はこれまで家で一滴も飲まなかったけど、
毎日、婿さんの晩酌の付き合いをしていた。
2人は和やかそうに話をしているけど、
父は無理をしているんだろうなと思ってみていた。
(今まで、母にしてきた暴言も、婿さんの前ではできず・・・)


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姉の旦那さんは、働きに行っても長続きしないひとで、
お金遣いも荒い人だったようで、
地味で真面目だけが取り柄の、私の家族にはなじまないようだった。

祖母と母が、婿さんに感じている苦情を姉に言うことがあって、
私は姉がかわいそうに思っていた。
「姉が好きで連れてきた人ではないやろ」と言っても、
祖母と母には通じなかった。

私は、寮生活が基本だったので、休日や連休だけ時々家に帰っていた。

姉が一人目の子を妊娠しておなかが目立ってきていたときのこと、
私は休日で家に帰っていたその夜、

父と婿さん二人が晩酌をしていて、
何かの話で喧嘩になりそうになって、二人が立ち上がった。
姉は泣きながら、大きなおなかで二人の仲に割って入って止めていた。

姉は、長女で跡継ぎで婿取り・・家の犠牲だと思った。
姉がかわいそうでならなかった。

自分は、自由な次女で良かったと思っていた。
(でも、私がもしも長女で跡取りの立場でも 
この家にいたかどうか?)

私がいないときも父と婿さんのけんかはあるんだろうなと思っていた。
姉は1人目を無事出産した。

 私22歳の時、働いていた富山の電気部品工場から、
東京の営業所に転勤することになった。

転勤先の東京でも、会社の寮で生活をした。
富山と東京は遠いので、母にたまに電話連絡をしていた。
(携帯電話がない時代)
その後、姉は2人目の子供を妊娠したと電話で聞いた。

2人目の子の出産日当日は、
姉の婿さんは 平日の仕事の勤務日だった。
姉は陣痛が来て、産婦人科に母と行った。

そして無事に男の子を出産して、
婿さんが病院に、生まれた子供の顔を見に来るのを待っていた。

夕方、婿さんが家に帰宅したので、
家にいた祖母が「生まれたよ」と、教えたという。
「ふ~ん・・男?女?」と聞いたので、
「男の子」と答えると、
「また男か・・」と言い、荷物をバッグに詰めて、家を出て行った。

祖母は、病院で使う物をバッグに入れて
生まれた子供の顔を見に病院に向かったのだと思った。

姉と母は、産婦人科病院で婿さんを待っていたが、
婿さんはなかなか病院に来なくて、母は嫌な予感がした。

病院廊下で「病院に誰かから電話で○○さん(姉の苗字)が入院してますか?」と聞かれたと、
看護婦が母に言ったのだという。
母はますます嫌な予感がしたが、出産後の娘には、言えなかったという。
そしていくら待っても、婿さんは病院に現れなかった。

小さい町村なので、噂はすぐ広がる。
婿さんの駆け落ち相手は 既婚の飲み屋の女性。
女性は、嫁いでいたが実家に戻ってきていて、実家の飲み屋を手伝っていた。

母はその飲み屋のおかみさんと会って話を聞いたら、
「男性は独身と言っていて、それを信じていた」と母が私に話した。
(婿さんは名古屋方面に土地勘があり、そこへ逃避行した。
のちに、その女性とは長くは続かず、女性は嫁ぎ先に戻ったらしいが、
婿さんは戻らなかった)

姉は「子供を産んだ日に 旦那が女作って逃げられた女」となった。
その時、姉25歳、婿さん26歳・・
4年間ほどの短い結婚生活に 一方的に終止符が打たれた。

私はこのことを単純に「姉がかわいそうだ」とは思わなかった。

父と婿さんのけんかの仲裁、祖母と母からの婿さんへの苦情を聞かされていた姉。
すごく気苦労しただろう。

「婿さんいなくなったことに姉は ある意味すっきりしたんじゃないかな?」と、
私はとらえた。

父は婿さんがいなくなってから・・前のように母に対して暴言が戻った、
そして父は姉にまで「旦那に逃げられた ダメな女」というようになったという。


 ~~つづきはこちら
人生観・男性観その5(祖母の死)

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