人生観・男性観その1(理想の結婚)

人生観・男性観その2(私の子供時代)

人生観・男性観その3(私の就職)

人生観・男性観その4(姉の結婚)
↑の日記の続きです。


 「2人目の子供を産んだ日に、女を作った夫から、
子の顔も見ないまま逃げられた女」と、世間からみられるようになった姉。

父は婿さんがいなくなってから・・前のように母に対して暴言が戻った、
そして父は姉にまで「旦那に逃げられた ダメな女」というようになったという。

姉の2人の幼子(祖母にとってはひ孫)は、この祖母が保育園の迎え、
母は土方、姉は工場で働いていた。

ある日、名古屋の運送会社から電話があり
「うちで働いているお宅の息子さんが、運転中に事故を起こしそのままいなくなって、
困っている、部屋も借りてあげていて、借金も残っているので、払ってほしい」と言われた。

その時、父が婿さんの事情を話すと、運送会社の人は「それはお気の毒・・」といい、
父に借金の請求はしないといって落着したそうだ。
(連絡先住所を 出て行った家にしていたのも驚いたが・・)

その後何か月かたったころだと思うけど、
東京新宿のサ〇ルートホテルから、保証人連絡先の確認電話があったらしい、
その時も父は状況説明し、保証人を断ったと、母から聞いた。
(婿さんは、独身時代東京でもはたらいたことがあると私に言っていた)

それでも、父は孫が父なし子ではかわいそうと言い、
婿さんの籍を抜かずにいたが、
裁判所から手紙が来て、婿さんのほうから除籍の訴えが出ているので、
裁判所に来るように、もし出廷しなければ敗訴になると書かれていたらしい。

裁判所は自宅から汽車を乗り継ぎ2時間以上かかる場所で、遠方にある。
姉は裁判所に行くのは嫌だし、その暇もないと、除籍をし離婚した。



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父を16歳で産んで、5人目の子を妊娠中に夫に先立たれて、
女手一つで必死に働き男勝りで父と仲の悪かった祖母、
高齢になり、高血圧の薬を飲み、
頭が痛いと手拭いを濡らして頭に巻きながらも、
畑は自分の担当とばかりに働いていた。

その祖母が、朝方便所に行こうとして、
廊下を這いずっている姿を
最初に父が見つけ・・「あれは 何をやっとるがじゃ」と、
母に言ったということだった。

普通の親子なら、親がそういう状態ならどうした?と聞くが、
話をしたことがない父と祖母だったのだ。
それどころか祖母の姿を、部屋の障子越しに感じただけで、
こら!こんちくしょう!と
暴言を吐く 父だった。
(気の強い祖母は、あれは気違いだ、できそこないだと、
陰で子供の私に言った)

祖母が82歳で、自宅で母の介護を受け、3か月ほどで亡くなった。

自宅で寝たきりでいて、外で世帯を持つ子供たちが見舞いに来ても、
父は祖母が亡くなるまで1度も様子を見に行くことはなかった。

身内の死後四十九日までは、
肉・魚・生ものを食べてはならないという地方の風習で、
生ものを避けていたけど、
卵と少しの肉ならどこの家も食べているというのを聞き、
葬儀の後
(実家にいる間は私が調理担当と、あてにされていたので)
私は家族に卵焼きや、カレーなどを作って出した。

姉と母はそれを食べたけど、父は「生もんだから・・」と、食べなかった。

「卵なら良いやろ?カレーから肉だけ外して食べたら良いやろげ」と言っても、
頑として、父は食べなかった。
(生みの母にしてきた暴言・親不孝に対する、今更の贖罪なのか)
私たちは卵と煮物に入れた少しの肉は食べたけれど、
父は、四十九日過ぎるまで、魚・肉・卵は一切食べなかった。

~~~つづく~~~


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