人生観・男性観その1(理想の結婚)
人生観・男性観その2(私の子供時代)
人生観・男性観その3(私の就職)
人生観・男性観その4(姉の結婚)
人生観・男性観その5(祖母の死)
↑の日記の続きです。
長文です。
5人目の子供を妊娠中に夫に先立たれた祖母。
長男で跡取りの父と、仲が悪く話をしたのを
私は一度も見たことがないまま 祖母は亡くなった。
祖母の死から
その2年後・・のこと、
父は日頃から背中が痛いと言っていた。
(昔、農閑期に、泊りがけで伏木港で船に塩を積む仕事をしていたことがあり、
その時に塩の塊が、背中に当たったことがあって、
その後遺症と、父は私にいっていた)
当時は70歳以上になると、医療費が無料になる時代だったので、
父はその70歳まで我慢して、70歳になった時に病院で受診すると、
すでに黄疸が出ていて・即入院となった。
(家族は、父は日焼けしているし夜は蛍光灯照明が暗目だったので、
顔色に気が付かなかったそうだ)
父が手術を受ける日に、
私は東京から駆け付け、母と姉と3人で病院の手術待合室にいた。
その時に私と姉は「父ちゃんが麻酔が効いて意識がない間なら苦しくないし、
手術中に亡くなってしまうのが一番良い」と、
母とちょっと離れたところでこっそりと二人で話した。
(その時の母の思いは知らない、聞いてはいけないことと思った)
難しい手術だったらしく、8時間以上の長時間手術だった。
父が手術の麻酔から覚めたとき、私にいつ東京に戻るかを聞いてきた。
(病院は汽車の線路の近くに建っていて、1時間に1本ほどしか通らない)
父は、私が汽車に乗り病院そばを通る時間に
「その時間は 病院の屋上で 手を振っとるよ」と私に言った。
(父はまだその時は 起き上がることができないのに 私にそう言った)
同居家族に吐いてきた自分の暴言により、家庭を暗くし皆を遠ざけてきた父、
早くに家から父から離れた私のことが、父は一番好きだったのかもしれない。
父は、受診して即入院・手術の6か月間に一度も家に戻ることなく、
ベッドに寝たきりで過ごした。
その間、母はずっと付き添い(完全看護制度はなかった時代)
70歳で亡くなった。すい臓がんと肝臓疾患だった。
(父が亡くなった時に 担当医師が涙ぐんでいたと、母が言っていた)
私は東京なので、死に目には会えなかったけど、私と姉の心境は悲しくはなく
(父がいなくなって、これから平和な家庭になるだろう)ことにホッとした。
母は父より11歳年下なので、60歳ぐらいだった。
これから・・夫の暴言から解放された母の新しい人生が始まると思うと
これで良かったんだと思った。
(子供の時に中学卒業したら働いてお金を貯めて母を引き取ろうと思ったけど
できなかった、父が死んだ今、自分の肩の荷も降りた気がした)
もう一つは闘病で長く苦しんだ父ちゃんが、やっと楽になれたことにも・・ほっとした。
母が後日談として「父ちゃんは独り言で痛い痛い、コワイコワイ(苦しい苦しい)
もうあかんなと言っていたけど、ものすごい我慢強い人だった」といった。
(苦痛を母に訴えることはなく、余命宣告はしなかったけど、
独り言でもうあかんなと死期を悟っていたという)
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酒も飲まず、真面目に働き、お金をためてきた父が、
葬式の時(母へのこれまでの暴言で・・娘たちから、死んでホッとされる父親って・・・)
父のその不憫さを思い涙が流れた。
その後に母は私に、遺産相続放棄をしてほしいと言ってきたので、
家の跡取りが全部引きつくのが当然のこと、
家に残って苦労した母と姉に遺産を分けてもらうつもりは、
初めからなかったので、印を押した。
現在、姉の2人の子は40代後半、長男は不真面目な自慢にならない男、
次男は真面目な男に育った。
むかし、一人目の子供が生まれたとき、婿さんが姉に「この家を出よう」と、
言ったそうだ。
姉は「私は跡取りだから、家を出るわけにはいかない」と答えたという。
酒好き、金遣い荒く、仕事に飽き性で、生活力に難ありな婿さんだったから、
実家を出て別世帯持っても、姉は金銭的に苦労させられたことだろう。
(この男の特徴、どこかで聞いたことが・・・次女(私)の旦那と同じじじゃん)
姉の婿さんは姉と別れてから、女のひも的な生活をしていたらしい。
(婿さんの母親が生前、姉にヨリを戻して家に入れてほしいと頼みにきたことが何回かあったというが、
婿さんがお金に困って生活できなくなったので言うのだろうと、
私の実家のみんなは思っていて、断わっていたそうだ)
そして、婿さんが齢とって一人になった今、生活ができず生活保護受給していると聞いた。
姉と私は男運がない・・のは似ている、
姉は自分の結婚を振り返って・・
そんなに長く一緒にいなかったから、わからんけど、
(次男が生まれた日に、子供の顔を見ずにいなくなって、結婚生活期間は4年ほどかな?)
父ちゃんよりは、婿さんのほうが良かったと言った。
(姉は自分と2人の子を捨てて行った夫を、恨んでいないのだ)
私も、結婚生活20年ほどで、父親より夫のほうがマシだったと思う。
「酒好き・金遣い荒い・女・転職」という共通点がある、姉妹それぞれの二人の夫たちと、
「酒飲まない・真面目に働きお金を貯める父親」と較べて、
父よりは、あの夫たちのほうがマシな人だったと思う・・理由?
【二人の夫たちは妻と普通の会話もした、
時には妻のご機嫌も取る夫(おもに、小遣いをせびるとき)】だったからに、ほかならない。
私の両親からは、普通の会話は1度も聞いたことがなく、
妻を毎日怒鳴るだけ、一挙手一投足に文句をつけるだけの夫、
子供が楽しいはずの盆・正月も、一家だんらんを味わうこともなかった家庭が、
子供(姉と私)の人生観と男性観を変えてしまったのかもしれない。
私の夫 50歳から生活保護受給~59歳で死去。
姉の夫も生活保護で施設入居してると、婿さんの実家の兄弟から聞いたそうだ。
(姉は婿さんの実家の人と、なんのわだかまりなく話ができる関係で、
昔・父が亡くなった時、すでに除籍していた婿さんの母親が、仏前にお参りに来たらしい)
(私も元・夫のお姉さんと合ったり、電話でも話をする良い関係)
ここにも共通点が・・
ただ姉と私が大きく違ったのは
「父親と母親のような結婚はいやだ・・
母親のような人生は 送りたくない」
中卒後は寮のある会社に就職したいと、
一日も早く家を出ることを望んだことだ。
私は自分が望む理想の相手(設定が安直)
1恋愛結婚(好きじゃないと、うまくいかない)
2年下(年上男は、威張るからイヤ)
3会社員(農業は大変だから・・)
と思って選んだ男で・・
これ以上、一緒にいたら不幸になると思ったときに、
夫から逃げたことだ。(なんの自慢にもならないね)
私が離婚するなら 父が亡くなってからと考えていて、
その通り実行した。
父がいるうちに離婚すると、「娘が二人とも離婚した」と言って、
母を責めたてる種が一つ増えることになるだろうことが、想像できたからだった。
小さいときの家庭環境で、私は人間世界を嫌う性格になったけど、
母親は優しい人だった、父親も私には優しかった。
私は、父親のすべてが嫌いだったわけではない、
「母といる時の父親」それだけが、嫌いだったのだ。
父の生前、母には父より20年は長生きしてほしいと思っていた。
父より先に母が死ぬのは絶対いやだ、
もし父が先に死んだ後に、
その先、母が10年ほどだけ生きたとしても、
父の暴言で長年過ごしてきて失った人間らしい人生は、
10年間では取り戻せないと、私は思っていたからだ。
母は、父の死後30年以上生きて、92歳で亡くなった。
(その30余年間の母の人生の内容は、
暴君だった父の死後に母と姉が過ごした暮らしは・・
良いものだったといえるかどうか・・・??)
父が亡くなるまで、遠い地で暮らしていても
家族という管轄から 心を外すことができなかった私だが、
父の死後の母と姉の暮らしは、
私の管轄外というほかない。
これで、私が子供の頃、家族の温もりをひたすら求め、
家族に父に感じていた愛憎と、葛藤の話は終わりです。
~~つづく~~
次回最終回は、父と私のほのぼのするエピソードと、
ちょっと不思議なことを書きますので、
読みに来ていただけたらうれしいです。
続きはこちら ↓
人生観・男性観その7最終回(父とのエピソード)
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