↑の記事の続きです。

夫と私は、昼間に神奈川県の民間アパートからレンタカーで東京の夫の実家へ引っ越しをした。
引っ越し荷物は少なかった。

私には初めての東京住まいになる日だった。
住居は、世田谷 敷地60坪 平屋戸建と言っても・・あばら家で・・
よく似たフリー画像↓

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実家の田舎では、見かけない古屋だった。
(私の実家は雪国なので、このあばら家では雪の重みでつぶれてしまう)

しかし、都会の場合は・・立地と広い土地に価値があるのだろう。
義両親は高学歴で、プライドが高い人達だけど・・
この古家については不満なく、暮らしているようだった。

引っ越し荷物を運んだ時間、義父は留守で、義母だけが在宅していたが、
どんな表情をしているかは気にしていなかった。

夕方、義父が帰宅して・・・状況が一変した。

義父は私たちが引っ越ししてくることを全く知らなかったという。

義母は「息子から同居のため引っ越ししたいと聞いたけど、
絶対反対していたし、お父さんには言えなかった」という。

そんなところに私は「両親は同居大歓迎」と夫から(嘘)聞いて引っ越ししたのだった。

私たち夫婦は義父から「出て行ってくれ!!」と、引っ越した当日に言われた。

引っ越したこの家は、小さな物置部屋が増築してあり、
引っ越し荷物とシングルベッド1台が入ったので、
寝ることだけはできた。

私は、この家にはいられないと思い、
この先の居場所のことを考えていた数日後、
妊娠の兆候が表れて、婦人科受診したら第1子の妊娠をしていた。

夫が義父にその話をすると「生まれてくる子供のために・・」と、
仕方なく同居を認めてくれた。

私はその時、定時制高校4年生だった。
夫は3年生ですでに教師とけんかして高校に行かなくなっていた。
出産予定は高校4年の1月だった。
担任に相談すると、
年末まで休まず出席すれば単位を満たすので、
卒業はできるといわれ引きつづき通学することになった。
前のアパートから高校は電車1本だったけど、
今度の家からは3本乗り継ぎで1時間ほどだった。
幸いなことに つわりが弱かったので順調に通学ができた。

義母は同居について・・
「勝手に入ってきたんだから私たちの生活は変えないでね、
これまでどうり、夫と二人暮らしのままの形でいくから」と。

それはどう言うことかというと、玄関には義両親二人の靴しか置かない事だった。

私と夫は玄関から出入りしても、脱いだ靴はすぐに玄関から見えない場所に持っていくことだった。
玄関先に訪問者が来たとき、これまで通り二人暮らしに見せておきたいということだ。

~~続きはこちら →昔・嫁だった頃 その3

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