昔・嫁だった頃その3
   ↑↑ の続き
 義両親は、ある宗教を信仰しており、
(夫も小さい時から親に入信させられていたが、全く活動はやっていなかった)

専業主婦の義母は信仰に特に熱心で、いろいろな会合に出て人付き合いが多かった。
たまにその友人たちから外食でごちそうになると、
料理上手な義母は「ごちそうになっても、外食でお返しは高価で、できないから・・」と、
昼食に友人を自宅に招いて、手作りのごちそうをふるまって、
手料理をほめてもらうことが喜びだった。

ふるまい料理の調理時、少し私も手伝ったが、その料理を食べることはなかったけれど、
義母は、手早く器用で料理好きな人だったので、
料理が苦手の私の実母からは学べなかった料理を、
同居することで、いろいろ学ぶことができたことはよかったと思っている。

招待した義母の友人に私が、
「こんにちは」と、立ったままおじぎをして立ち去るのが不満だったらしく、
三つ指をついて「いらっしゃいませ」と言ってほしかったらしい。

義母は専業主婦で「年を取って何もしないで、
ボーっとしてボケることが一番怖くていやだから、
いろいろなことをやっているの」といい、忙しく昼間は外に出ていた。

私は、同居させてもらっている身なので、義母の留守中に家の掃除をした。
義両親だけが使う部屋もいつも掃除をしていた。

ある日、掃除機をかけていたら部屋の目立ちにくいところに輪ゴムが一本落ちていた。
それに気が付いて、
「ん!?こんなところに輪ゴム・・???」とおもったけど、
物陰だし・・・と思い、
その部分は掃除機がけを省き、輪ゴムを拾わずに掃除を終えた。

帰宅した義母「今日、掃除機をかけた?」
「はい、かけました」
「あそこに輪ゴムが落ちていたんだけど・・そのままだったわね」
「あっ、はい・・すみません」
やはり!試されていたんだなと思った。

理不尽なことがあっても言われても、自らは釈明しない。
「はい、すみません」が不可欠だ。
それがこの家で穏便に生活するため、
何よりも、自分のため・・

私の怖いところは・・
「最後に笑うのは。。私のような気がする...」と、意味もなく心の中で思うところ。


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義母は、着物着付けを習っていて出かけるときは、
自分でヘアセットをして美容院とそん色ない出来で、手先が器用な人だった。
着物姿もきりっとして素敵だった。

義母は熱心に着付け学院に通い、講師資格を取得した。
この資格を取るために、多くの金額を使ったと言い、
花嫁衣裳の着付けもできると言っていた。

講師の資格を取得して、
自宅で信仰の知り合いの方たち数人に月に数回着付けを
教えていたこともある。
その時は先生と呼ばれて、
「うちは主人も私も、先生なのよ」と嬉しそうだった。

私も、友人の結婚式出席の時に着物を着つけてもらってありがたかったし、
2人の娘たちが7歳の七五三の時は、娘の着付けもしてもらった。
着付けのセンスは素晴らしく、着崩れにくくさすがプロという仕上がりだった。

続き↓

昔・嫁だった頃⑤愚痴らずとも周りはわかっていた

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