妊娠中の大きなお腹で、定時制高校4年の12月の最後の登校日まで通学した私は、
以前から義母に「産後の娘の世話は実家がするもの」と言われていたので、
翌年の出産予定日に備えて、師走の 夜行列車で実家に向かった。

年明けの1月、予定日より10日早く長女は無事健康に生まれて、
産後の3か月間を実家で過ごし、東京に戻った。

義父は、赤ちゃんも女の子が好きなので、
長女をかわいがってくれた。

義母は自分が入浴するときに、時々長女を一緒にお風呂に入れてくれて、
ありがたかった。

同居生活を3年ほど過ごしたとき、第2子を妊娠し、
私は長女を連れて寝台夜行列車で実家に行き、また里帰り出産をした。
産後3か月後に東京に戻る予定だった。

実家で第2子次女の出産後を過ごしていると、
夫から「急に、住んでいる都営の戸建取り壊しのため立ち退き移転話が出た」と、
電話連絡があった。

対象世帯は都営戸建に住む全5世帯程だったので、話が早く進んだのだろう。

同区内に建設済みの、新築団地に移転することになり、
私たち家族は、義両親世帯・夫世帯の、夫婦2組だったので、
2世帯分の住居を割り当てられた。

次女を出産した3か月後に、実家の母に付き添ってもらい東京に戻ったときは、
すでに新築団地に引っ越し済みで、
私と二人の子供たちは新しい団地に帰ったのでした。

それで、義両親との同居は、3年ほどで終わりになりました。

賃貸都営戸建ボロ屋の建て替えで、
移転した新築団地で,義両親と完全別居になったからです。

良い時期・良い機会に新築2DK団地に別居となりました。

夫両親との同居を続けていなければ、新築の都営団地には入れなかったし、
同居で義母から料理を教わったし、過ぎてみれば同居は良い結果でした。

引っ越し当日に「出て行ってくれ!!」と、義父から言われたけれど、
長女の妊娠が分かり、子供のためと同居を許してもらったこと。
この時に妊娠がなければ、
夫と民間アパートに出て相応の家賃分の出費で、
経済的に苦しい生活に逆戻りすることになっていたはずです。

定時制高校4年在学中の妊娠だったけれど、
単位が取れて卒業できたのも幸運でした。

古戸建の庭に6畳1間のプレハブを建てたけど、
トイレ、キッチンもなくいろいろと水回りの不便があり、
夜間用に、蛇口付きのポリタンクに水を入れて置いていました。

子供2人になれば、プレハブ6畳一間では手狭だったでしょう。
2人目出産と同時に、2DKバストイレ付住居に入居できたのは、
とてもありがたいことでした。


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自分は、昔も今も決して幸運でラッキーな人生だったとは思っていないけれど、
いつも考えていたのは、義務教育卒業以降は、
すべて自分の選択・判断で歩んできたことなので悔いてはいない。

私は特殊な思考の持ち主かもしれません。
わたしの人生観を培ったと思われる、以前書いた記事 → 人生観・男性観

たとえば、相手の負の言動、相手から自分への負の言動を、
心に敏感に感じ取っているとしても、
「時に・・気にしないふり、
相手が都合の悪い知られたくないと思っていそうなことは、
知らないふりをしてあげる鈍感力」を持つこと、

学のない私、うまくは言えないけど・・
そんな鈍感力が必要な場合が、
人間にはあるのではないかなと思い生活してきました。

自分には、棚ぼた、くじ運はないけれど(>_<)・・
機会と時期には恵まれていたのかもしれないと思っています。

夫の両親と完全別居し・・10数年が経ち、
まだその時は介護保険もなく認知症と言わず痴ほうと言っていた時代です。

70歳前後からプライド高いきつい性格だった義母に、
痴ほう症状が現れはじめました。
性格が柔らかくなって、かわいいおばあちゃんになっていきました。
(でも、これは私の無責任思考です。
認知症状の本人・義父・義姉は戸惑ったことでしょう)

私のことも、嫁姑関係も忘れたみたいでちょっと笑顔で、
どんな話にも義母は「あ、そう・・あ、そう・・」と、答えていました。

義母が亡くなった年齢75歳だったと聞きましたが、
その数年前に私は夫と離婚して、
民間アパートに住んでいたので、関わりがありませんでした。

この記事で義母のことばかり書きました。
嫌いで書いたわけではありません。
同性として見習いたいところもあり、同情するところもある女性でした。

義父は再婚、義母は女学校出のきれいなお嬢様9歳年下の初婚で、
義母はなぜそこまで熱量高くがむしゃらに尽くしたのでしょう?
義母がチラッと話したことで(私はさらに掘り下げて聞くことはしなかったけど)
夫との入籍が子供が生まれた後からで、すごく遅かったようで・・
私の想像ですが、相手の気持ちを前の奥さんから自分に向かせるために、
一生懸命尽くしたのかな?と、思いました。

義父のことはあまり書かなかったけれど、
義父は高学歴、ちょっと見た目が良い男、口達者で女性好き、
生きたいように生き、やりたいようにやって
妻に尽くしてもらい幸せな一生だったと思っているので、
書かなかったのです。

プライド高い女性だった義母から聞いた忘れられない言葉が一つあります。

「夫に文句言われないために、
一生懸命やってそれでも文句を言われるんで
腹立って・・これでもか!ってぐらいやったわよ、
でも文句言われた。

それで、心を込めるようにしてやるようにしたら、
文句が出なくなった。
気持ちが大事ね、
同じことでもコノヤローと思いながらやるのと、
心を込めるのとでは違うのね。
相手に伝わるのよね」

~~~終わり~~


「昔・嫁だった頃」①~⑦まで、長文の日記を読んでいただきありがとうございました。

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