挑戦したことその②は シニアタレントです。
40歳代後半で離婚後、生活のため訪問介護ヘルパーで3年働き、50歳過ぎで施設介護の介護職員。
その間に国家資格の介護福祉士受験をしましたが、筆記試験を合格するも、実技試験で不合格になりました。
その1年後2回目は、筆記試験免除で実技試験だけを受験しましたが、これまた不合格。
筆記試験は時間内であれば答えの見直しができますが、実技はぶっつけ本番、やり直しはできません。
昔からものすごいあがり症で、口から心臓が飛びだすほどドキドキします。
(あがると心臓ドキドキするけど、さらにもっとあがると、のどがドキドキし、これを口から心臓が飛びだすと形容するんだと思いました)
この調子じゃ3回目の実技試験も自信がありませんでした。
あがり症を克服するには・・・と思っていた矢先、新聞に日本テレビで「シニアタレント1期生募集」の広告が目に留まり・・
これ行ってみようと思いました。「介護福祉士実技講習会」(ふつうはここに通う)じゃないところが、変なおばさんなんですよ私。まじめな講習会楽しくないし・・若い時、芸能界にあこがれ持ってたし、ここで挑戦してみよう!
あわよくば・・介護の仕事しなくても食べていければ・・・(いつも、こんなこと思うのです)
応募者40~50人ぐらいいたのかな?そこからシニアタレント研究生選考オーデションに6人が合格しました。
演技レッスンに週1回通いました。
数か月レッスンを受けた後、併設のプロダクションに登録してレッスン続けながらデビューとなりました。
その時「日経新聞取材」が入り、日経新聞日曜版に載りました。
写真 右から2人目が私、3人目男性は講師の先生です。
当時は峰竜太さんの全盛期で「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組がありました。
平日お昼前の番組で、私たちシニア1期生6人は、再現ドラマによく出演しました。
再現ドラマは、自宅でVTRを録画したものもあるけど、編集して自分が出るところだけ残したので、
ストーリーがぶつ切りでした。
ストーリーが大体解る2本があり、以前YouTubeにアップしたものがあります。
良かったら見ていただけたら嬉しいです。
その中の一つ「女性保安員は見た」で「特殊部隊 女・エクシーダ」役をやりました。
私は、訪問介護の登録ヘルパーしながら、、タレント活動があればそれを優先してましたけど、
タレント一本で生活はできませんでした。
介護事業所の正職員になったことをきっかけに、タレント活動は遠のいていきました。
日本テレビ、朝の情報番組「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組。
「電動自転車ヤマハパスの開発秘話」の再現ドラマ。
自転車販売店さんにロケに行きまして、初めて電動自転車というものに乗り、
普通の自転車では昇り切れなかったすごい坂道を、すいすい上った時は感動しました。
電動自転車を始めて作ったのはバイクの会社「ヤマハ」だったんですね。
特許申請しなかったため、他の会社からも次々販売されました。
電動自転車を販売当初、バッテリ-がすぐ切れたり不具合続きで、お客さんから苦情をたくさん言われたとのことです。
私は、その苦情を言う役だったので「ちょっと!!何よこれは!!全然だめじゃない!!お金を返してよ!!」などなど、
思いつくままアドリブで、店頭でどなり散らしたら、自転車店向かいの家の人が外に出てきて何事が起ったのか?というような顔でみてました。
私の激しいアドリブセリフに自転車店の方が「そこまではひどく言われなかったです」と、言ってました
電動自転車「ヤマハ パス」の試乗役もしています。
あっそうそう・・3回目冬の介護福祉士実技試験は、度胸付けレッスンの甲斐あり?合格しました。
同年、秋に1回目のケアマネ試験受験不合格、次年2回目でケアマネ試験を合格しました。
(介護福祉士とケアマネ受験は挑戦とは思っていません。仕事の一環です)
その後、約10年間ほどケアマネ職をして、65歳過ぎに退職し、現在は年金生活です。
介護関係の職で厚生年金加入してきたからこそ、現在月10万円の年金生活ができているわけで、
自分のやってみたいこと「アイディアの商品化・タレントの真似事」
(いずれも努力が足りなくて物にはならず、これで食っても行けず)も、
「若いころからの夢を一通り、人生後半に体験し、人生悔いなしこれでよかったのだ」と思っています。
演技レッスンは、笑う演技は難しいです。泣く演技は割と簡単でした。
これ、まさに人生そのものですね。
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