下流のお一人様家計簿blog☆彡

座右の銘#お金は取るより使いよう(ご立派な 負け惜しみ・・)

人生後半に挑戦したこと

ナニコレ珍百景の撮影協力費が出た

6月6日に私の出演部分が~急転、没になった話を先日 ↓ 書きました。


その後、番組プロデューサーさんから電話で、
請求署を送付するので、署名して返送してくださいとのことで・・・
届きました。
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封筒住所があまり消えていないので心配ですとメッセージいただきました。
きちんと消しました。ありがとうございました。

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請求金額 11023円(消費税・源泉税込み)

内容:本編カット「弓取式で健康になった女性」撮影協力費 10021円 消費税 1002円



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平穏な年金生活の刺激にはなったけれど、撮影は自分なりに頑張った。
没になって がっくり しばらく燃え尽き症候群になった。

協力費がもらえたので良しとすることにして元気を出そうと思った。

私はたまに変なことに挑戦したくなる悪い癖がある。

夫と別れてから、50歳過ぎて介護福祉士とケアマネジャー資格は、
生活のため取得して生活の糧になったけれど、

その他、50歳過ぎての挑戦(シニアタレント・実用新案の考案販売)は、
しなくてもよかったことなのかもしれない。

アイディア商品考案・販売に挑戦した記事

シニアタレントに挑戦したきっかけの記事

そして今回の(ナニコレ珍百景)応募。
うまくいかないときは、ストレス抱えることになるのにね。 

でも「やらない後悔・やる後悔」の選択は、
私の場合 「やる後悔」を選んでしまう バカ者なんだな・・・


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「ナニコレ」6月6日に出演?から急転ボツまでの軌跡

70歳過ぎると つい余命を考えてしまいます。
健康寿命は何歳?とかね。

今年初めに「元気なうちに 思い残すことなく したいことはやっておきたい!!
誰もやっていないことを してみたい」とブログに書き、
こうなれば・・恥も外聞も無く(いや・・ちょっと恥ずかしいけど)
何か珍しいことをして、youtubeに上げようと思っていました。



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71歳高齢でしかも女性が 誰もやっていない事は・・・何だろう???
(人と同じことをやっても、劣るのがわかっている自分は、
NO1よりonly1の発想しかないのです)

で・・・あることを人様に見せられるように・・練習しました。

練習しているとき「youtubeにアップする前に、これ珍百景だわ」と思ってしまいました。

フィギュアスケート ケイトリン・ホワイエク選手の座右の銘
You miss 100% of the shots you don't take.(Michael Scott)
シュートは打たない限り入ることはない

私が好きなネイサンチェン選手も、何かのインタビューでこの言葉を言うてました。
ネイサンは、男子シングルスケートで世界チャンピオンだけど、
競技会ではさらに向上を目指し、いつも挑戦的です。

座右の銘「シュートは 打たない限り 入ることはない」・・
そして私・・・「ナニコレ珍百景」に、シュートを打ちました。

カテゴリーは「我こそ・・珍百景」です。 

自分のしていることがまさに珍百景だと思い、自分を珍百景として応募したのです。
(2月末のことでした)

まもなく、番組スタッフさんから連絡をいただき、
3月初めに、指示を受けながら自宅で・・いろいろな場面を撮影しました。
高齢女が頑張る姿を お見せできたらと、
思い切って 顔出ししました。

その後、2カ月ほど音沙汰なく・・
7割がた あきらめかけていて・・・

5月27日、娘が私に勧めたスマホの設定で私の団地に来ていた日、
「6月6日放送予定で番組収録します」と電話連絡がありました。
出演料も示されました。

娘に珍百景に応募したことを、内緒にしておこうと思っていたけれど、
娘の前での電話だったので珍百景のことを話しました。


放送日が決まってから5月31日に、友人に話したら録画予約をしたそうで、

紹介タイトルは「弓取式をマネて 元気回復71歳女性」となっていたと、
番組予約表の画像を撮ってLINEで画像を送ってくれました。
宮 (2)



が・・・・・ですね・・・

6月1日に番組プロデューサーから電話があり・・
「アラセブンさんの部分がカットになってしまいました」と。

「また放送の可能性が出てきたらお電話します」と言われたけど・・・
(99%無いと思います)

6月1日カットの電話あったけど、
録画予約では紹介文がずっと残っていて、
6月5日に私の紹介部分がようやく削除されていました。

nanikore1 (5)


nanikore (4)


カットされてしまったら、永遠に動画が世に出ません。
せっかくなので・・・youtubeに上げようかと考えてます。




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人生後半に挑戦したこと その② 


挑戦したことその②は シニアタレントです。

40歳代後半で離婚後、生活のため訪問介護ヘルパーで3年働き、50歳過ぎで施設介護の介護職員。
その間に国家資格の介護福祉士受験をしましたが、筆記試験を合格するも、実技試験で不合格になりました。
その1年後2回目は、筆記試験免除で実技試験だけを受験しましたが、これまた不合格。

筆記試験は時間内であれば答えの見直しができますが、実技はぶっつけ本番、やり直しはできません。
昔からものすごいあがり症で、口から心臓が飛びだすほどドキドキします。
(あがると心臓ドキドキするけど、さらにもっとあがると、のどがドキドキし、これを口から心臓が飛びだすと形容するんだと思いました)
この調子じゃ3回目の実技試験も自信がありませんでした。

あがり症を克服するには・・・と思っていた矢先、新聞に日本テレビで「シニアタレント1期生募集」の広告が目に留まり・・
これ行ってみようと思いました。「介護福祉士実技講習会」(ふつうはここに通う)じゃないところが、変なおばさんなんですよ私。まじめな講習会楽しくないし・・若い時、芸能界にあこがれ持ってたし、ここで挑戦してみよう!
あわよくば・・介護の仕事しなくても食べていければ・・・(いつも、こんなこと思うのです)

応募者40~50人ぐらいいたのかな?そこからシニアタレント研究生選考オーデションに6人が合格しました。
演技レッスンに週1回通いました。
数か月レッスンを受けた後、併設のプロダクションに登録してレッスン続けながらデビューとなりました。
その時「日経新聞取材」が入り、日経新聞日曜版に載りました。
写真 右から2人目が私、3人目男性は講師の先生です。

                413

当時は峰竜太さんの全盛期で「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組がありました。
平日お昼前の番組で、私たちシニア1期生6人は、再現ドラマによく出演しました。
再現ドラマは、自宅でVTRを録画したものもあるけど、編集して自分が出るところだけ残したので、
ストーリーがぶつ切りでした。

ストーリーが大体解る2本があり、以前YouTubeにアップしたものがあります。
良かったら見ていただけたら嬉しいです。

その中の一つ「女性保安員は見た」で「特殊部隊 女・エクシーダ」役をやりました。

                   nittere

                         
 

私は、訪問介護の登録ヘルパーしながら、、タレント活動があればそれを優先してましたけど、
タレント一本で生活はできませんでした。
介護事業所の正職員になったことをきっかけに、タレント活動は遠のいていきました。

日本テレビ、朝の情報番組「峰竜太のほんのひるめしまえ」という番組。
「電動自転車ヤマハパスの開発秘話」の再現ドラマ。
自転車販売店さんにロケに行きまして、初めて電動自転車というものに乗り、
普通の自転車では昇り切れなかったすごい坂道を、すいすい上った時は感動しました。

電動自転車を始めて作ったのはバイクの会社「ヤマハ」だったんですね。
特許申請しなかったため、他の会社からも次々販売されました。

電動自転車を販売当初、バッテリ-がすぐ切れたり不具合続きで、お客さんから苦情をたくさん言われたとのことです。
私は、その苦情を言う役だったので「ちょっと!!何よこれは!!全然だめじゃない!!お金を返してよ!!」などなど、
思いつくままアドリブで、店頭でどなり散らしたら、自転車店向かいの家の人が外に出てきて何事が起ったのか?というような顔でみてました。
私の激しいアドリブセリフに自転車店の方が「そこまではひどく言われなかったです」と、言ってました
電動自転車「ヤマハ パス」の試乗役もしています。

                      タイトルなし



あっそうそう・・3回目冬の介護福祉士実技試験は、度胸付けレッスンの甲斐あり?合格しました。
同年、秋に1回目のケアマネ試験受験不合格、次年2回目でケアマネ試験を合格しました。
(介護福祉士とケアマネ受験は挑戦とは思っていません。仕事の一環です)

その後、約10年間ほどケアマネ職をして、65歳過ぎに退職し、現在は年金生活です。

介護関係の職で厚生年金加入してきたからこそ、現在月10万円の年金生活ができているわけで、
自分のやってみたいこと「アイディアの商品・タレントの真似事」
(いずれも努力が足りなくて物にはならず、これで食っても行けず)も、
「若いころからの夢を一通り、人生後半に体験し、人生悔いなしこれでよかったのだ」と思っています。

演技レッスンは、笑う演技は難しいです。泣く演技は割と簡単でした。
これ、まさに人生そのものですね。

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人生後半に挑戦したこと その① 

 

挑戦したこと その① アイデアを商品化・販売です。

47歳頃 高校生の娘2人を連れて、夫の元を逃亡した(その時のことは↑に書いてます)

人生90年としても 折り返しの年齢です。
夫と一緒にいるとき、クリーニング店でパートをしていましたが、
逃亡先に借りた民間アパートの、家賃を払って生活するには、
もっと収入の多い仕事をしないと食べていけません。

前から知人に薦められていたけど、なかなか踏み切れずにためらっていた
ホームヘルパーを、その知人も登録する紹介所に登録しヘルパーを始めました。

約3年間ホームヘルパーをしてから、その後介護施設「特別養護老人ホーム」の介護職に就きました。
半官半民の施設で、私は50歳を過ぎていたので、施設介護は正職員採用にはなりません。
8時間労働の1年契約パートタイムです。それでも正職員の一人としてシフトを組まれます。
早出・日勤・遅出・夜勤です。
夜勤は職員2人体制で、70人の要介護者をお世話します。
仮眠時間があっても、仕事に慣れていない私は仮眠は取れませんでした。
私には、体力的・精神的にきつくて・・・再契約は断り1年で退職しました。
なので、あの多忙の中、施設で働き続ける職員たちを今でも尊敬してます。

施設介護職は賃金安くてきついので、職員がすぐ辞めてしまうため人手不足、
高賃金なら辞める人は少ないと言われてますが・・・
そうではないと思います。私自身は仮に高賃金でも、続けられないと思いました。

介護保険施行前は「養老院」と呼ばれて、身寄りのない自立高齢者で手のかからない入所者もいて、
職員も多くて働きやすかったと、職員は話していました。

介護保険施行後は、自立の入所者は入所できず(現在は要介護3以上)の入所しか受け入れません。
重介護者ばかりなのに、職員の人数も減らしました。
私は、賃金は納得の上で応募したので、文句は言いません。
職員の人数を多くして、1職員の負担を軽減することのほうが大切に感じたし、
虐待もなくなるのではないかと思いました。
職員の多忙の苛立ちが、虐待につながると思うのです。

介護施設を退職してから、身体的にはいくらか楽な在宅のホームヘルパー職に再度戻りました。

ある日テレビで、新宿のある百貨店で女性発明家のアイディア商品展というのを、
開催しているのをみて、そのイベントを観に行き、パンフレットをもらいました。
アイディア展は、アイディアコンクールの入賞作品の展示と、
女性が考えたアイディア商品の販売をしていました。
それに触発されて、自分も何かアイディア商品を作ってみたいと思いました。
あわよくば、それを売って生活できたら良いなと思うようになりました。

それは何か・・・?
ホームヘルパーで、雨の日個人宅を訪問するとき、
自転車で行くのに上は雨合羽、それだけではズボンが濡れるので、
下はカッパズボンを履いてました。

個人宅に到着すると、雨合羽を脱ぐのは簡単、カッパズボンが脱ぎにくかったのです。
昔・独身時代に趣味で洋裁を習って、自分の着るものを縫っていたこともあり、
靴を履いたままで簡単に着脱できるカッパズボンを、自分で作って履いていたのです。
これを商品化できないかな?と考えました。
「婦人の発明家協会」に入会して、自分の考案商品がデパート審査に合格すれば、
売り場に陳列してもらえて販売できるのです。

早速入会しました、アイディア商品はどこにもないもの(新規性)を求められます。
(協会からは特許申請を薦められる)
特許庁に提出する申請書類は、弁理士さんに依頼するのが普通ですが、
依頼料が約20年前でも最低20~30万はかかるといわれていました。

私は、自分で書けばタダだから自分で書こうと思いました。
そしてその時、母子家庭や住民税非課税世帯は、特許庁への申請料は無料だということを知り、
今しかないと思いました。

友人からワープロを借りて、申請書類の書き方を参考にタイプライターを打ち、
図面は手書きで書き特許庁に書類を提出しました。

実用新案証書を手に入れてから、カッパズボンをデパートの審査に出しました。
雨の日も楽しく過ごせるように「雨楽楽パンツ」と命名しました。

しばらくして審査合格通知が来て、デパートの「アイディアコーナー売り場」に並べてもらえることになりました。

数年経過し、アイディアコーナー売り上げが悪くなり、デパートの売り場存続問題が協会から説明ありました。
協会の説明では「数年前から売り上げが悪化していたけど、
デパートの好意でコーナーを続けていただいてきたが、
これ以上の迷惑はかけられない」という旨の説明だったと思います。
その後 売り場は廃止になりました。

自分の商品を2900円で売ろうとすると、デパートでの販売価格は、
4900円程に設定しなければならなかったので、心苦しさがありました。

ならば、この品物をネットで売ろうと思うようになり、パソコンに興味を持ちました。
このアイデア商品がなければ私はパソコンに興味を持たなかったかもしれません。

初めの動機、アイディア商品を売って生活したいという甘い夢はならず、
結局65歳過ぎまで 介護関係で働きました。

しかし、サービス提供責任者とケアマネジャー職では、パソコンが必須だったので、
アイデア商品がパソコンの動機付けになったのは良かったと思っています。
この品物のおかげで 雑誌に取り上げてもらったり、

NHKのラジオに出演したこともあります。
    nhkラジオ

だいぶん前です、NHKラジオ「ふれあいラジオパーティ」「町の発明家 集合」に
ラッキィ池田さん(タレント・振り付け師)木村勝己さん(発明プロデューサー)とゲスト出演しました。
ラッキィ池田さんはお母さんが発明好きな方で、ラッキィさんご自身も有名おもちゃメーカーから
おもちゃの発明品を販売した経験があるということで、出演され共演しました。

⁂NHKは商品名を言うなといわれ、ラジオでは商品を見せることができないので、
宣伝にはなりませんでした(>_<)


 

どんな大きな靴でも、靴を履いたまま着脱できるレインパンツの動画です。
(百聞は一見に如かず、良かったらご覧くださいね)

minnne で販売しています


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